御大典記念 - Network2010

大正時代の広小路

御大典記念

雨が降れば、海のような状態になる。雨が止んだ後は、何日もぬかるみが続く。人力車が道の中央を走りぬけてゆく。牛車や馬車がゆっくりと道の脇を通ってゆく。自動車が走れば、ぬかるみのしぶきがはね、通行人の着物にかかる。
下駄で、ぬかるみの中を人々は歩いてゆく。大正時代まで、名古屋の幹線道路である本町通りも、このような状態であった。
道路のすさまじさは、雨天の時だけではない。何日も晴天が続くと砂ぼこりがもうもうと舞い上った。道路の補修工事は、砂利を持ってきて、路面をおおうだけであった。慶長年間に本町通りができた時と変りのないありさまであった。

昭和8年ごろの御幸本通り昭和8年ごろの御幸本通り本町通りが舗装道路になったのは、昭和三年(一九二八)のことだ。区間は、玉屋町四丁目から本町一丁目までの約千メートルである。幅員も十四・五メートルに広げられた。昭和天皇の御即位を記念して、舗装道路化された本町通りは、この時より御幸本通りと改称された。また町名も、本町改め御幸本町と呼ばれるようになった。御幸とは、天皇や皇后、皇太后、皇太子が外出なさることだ。御幸本通りは、天皇がお通りになる道という意である。

大正、昭和天皇は何度も名古屋に行幸なさっていらっしゃる。
大正天皇の場合は、元年に一度、二年以後六年までに二度、その後は八年に一度の行幸である。宿舎は、名古屋離宮(名古屋城)である。名古屋城にお着きになり、広小路通りから、本町通りという通路で、名古屋城にお入りになる。
大正天皇が最も長く名古屋に滞在なさったのは、大正二年十一月十二日から十八日までの名古屋における特別大演習のご統裁に行幸なさった時だ。
この時の記録が『愛知県警察史第二巻』(愛知県警察史編集委員会・愛知県警察本部刊行)に載っている。

名古屋離宮(大正2年)名古屋離宮(大正2年)名古屋離宮と名古屋駅間の警備は、警部補以上十一人、巡査部長二十二人、巡査二百九十四人の三百二十七人によって行なわれた。一丁(約一〇九メートル強)につき十三人強、四間六分(約八・六メートル)に一人の配置であった。
十一月十二日、九万四千六百三人が、拝観をしに、広小路通り、本町通りに集まった。警察は、あらかじめ二階にほしてある洗濯物を片づけるように注意した。また帽子をかぶって拝観しようとするものには制止をした。注意、制止件数は、五千三百十五件におよんだ。
天皇の車が通過した後は、本町通りの中央で交通の整理にあたった。
十一月十七日、第三師団の練兵場に五万の兵士を集めて、特別大演習の観兵式が行なわれた。警備は厳重をきわめた。当日は、練兵場の周囲の道路、十四か所を通行止めとした。
練兵場の北には、黒川が流れている。十五日から、庄内川の水が黒川に入らないように遮断された。練兵場近くの金城村(北区金城町)の加藤製粉所に命じて、水車を使い排水を行なわせた。
一般拝観者が川に落ちないために、黒川の水を止め、排水を行なったと説明されているが、それにしては、あまりにもぎょうぎょうしい。陸上から練兵場に入ることは、警備が厳重で、事を企てる者が入ることができない。しかし、水上からは容易である。そのことを恐れて水路を遮断したのであろう。
海水が遡上し、黒川のように上流で流れが遮断できない堀川では、小船に巡査、消防手が乗りこみ、何度も往復して、ことなきように取りはかった。
大幸橋では、天皇に直訴をしようとして、取り押さえられた男がいた。上訴狂として処理された。
演習中の七日間の愛知県警察署の行政検束の人数は五八〇人である。すりをなさんとするもの六五、精神病者二七三、泥酔者一一、浮浪者二七人など現場で検挙したのではなく演習中に事故が起きてはならないと検束したのである。

名古屋駅前に設置された御大典記念奉祝門(昭和3年)名古屋駅前に設置された御大典記念奉祝門(昭和3年)本町通りに設置された御大典記念奉祝門(昭和3年)本町通りに設置された御大典記念奉祝門(昭和3年)昭和二年(一九二七)十一月、昭和天皇は陸軍特別大演習を統監なさるため名古屋に行幸をなさった。
『日本憲兵昭和史』(極東研究所出版会)の第三編「日本憲兵ノ歴史」の昭和二年十一月十九日の項に次のような記事がある。

名古屋市東練兵場ニ於ケル陸軍特別大演習観兵式閲兵ノ際列兵中ノ歩兵第六十八連帯第五中隊歩兵二等兵北原泰作ハ陛下ガ午前八時三十分頃同連隊第一大隊ノ右翼ニ進マセラルル頃直訴ヲ企テントシタルヲ同中隊第一小隊長歩兵少尉奥田広吉ニ逮捕セラレ名古屋憲兵分隊ニテ取調ノ上請願令違反トシテ第三師団軍法会議ニ送致ス

大正二年の大演習の折りと同じように、昭和二年にも、直訴を企てようとした歩兵二等兵がいた。何を訴えようとしたかは、謎のままである。

この時、御幸本通りを、天皇がお通りになられたのを本町在住の今阪善次郎さんは、記憶していらっしゃる。
「竹矢来がしてある中で、ござを敷いて何時間も前から待っていました。それは大変な人出でしたよ」

本町通りは、天皇が通られた道である。そしてまた、天皇の兵士たちが、外地に従軍する際には、熱田神宮で隊伍を組んで行進する道であった。

沢井鈴一氏関連情報

『名古屋の街道をゆく』
定価1500円 好評発売中!

『名古屋大須ものがたり』好評発売中!

名古屋の町を形づくってきた東海道・佐屋街道・柳街道・美濃路・上街道・下街道・飯田街道という七つの街道の歴史、成り立ち、歴史的できごと、そして今も古い息吹きが残る街道周辺の文化財を紹介。
読んで興味津々、町歩きの伴侶となるこの一冊によって名古屋の街道を再発見しながら楽しめます。探索用カラー地図付。

■著者=沢井鈴一(堀川文化を伝える会 顧問)
■発行=堀川文化を伝える会
■体裁=A5判並製、カラー口絵付240頁、地図・古写真等多数収録
■価格=1500円
■内容=東海道・佐屋街道・柳街道・美濃路・上街道・下街道・飯田街道 ほか

取扱書店一覧(名古屋市内)
・ ちくさ正文館(広小路通り 千種駅東)
・ 正文館書店本店(東区東片端)
・ 熱田泰文堂(名鉄神宮前駅前 JR熱田駅前)
・ 三松堂書店(上前津交差点南西角)
・ 早川屋書店(大須ふれあい広場前)
・ 岡田書店(北区味鋺)
・ 三洋堂書店いりなか本店
・ 新開橋店(瑞穂区 新堀川沿い)
・ 鳥居松店(国道19号沿い春日井高校東)
・ ジュンク堂 名古屋店  
・ 名古屋ロフト店
・ 丸善 名古屋栄店
・ 三省堂 名古屋高島屋店
・ 中日書店 中日ビル3階
・ ブックショップ「マイタウン」(中村区 新幹線高架下)
・ 鎌倉書房 サカエチカ店

沢井 鈴一(さわい すずいち)
沢井鈴一1940年 愛知県春日井市生まれ。明治大学文学部卒業後、市邨学園高等学校で国語科を教え、2000年3月に定年退職。名古屋市中区、北区等の生涯学習センター講師を務めるかたわら、堀川文化探索隊代表として長年にわたり堀川文化の地を調査・探索し数多の企画展を実現。著書に『浮世絵は愉しい』『伝えたい-ときめきを共有する教育』『堀川端ものがたりの散歩みち』『花の名古屋の碁盤割』『名古屋本町通りものがたり』など多数。

Webサイト:開府400年・名古屋の歴史と文化