日本生命と野村銀行
茶屋町の伊藤呉服店栄町の交差点は、名古屋の経済の中心であった。広小路を伏見に向けて歩いてゆく。
丸栄スカイルの地は、名古屋市役所が建っていたところだ。名古屋市役所の跡地である。この地に、茶屋町の伊藤呉服店が進出してきたのは、明治四十三年三月のことである。三月五日の開店第一日に、三、四万人と称せられた人が入場した。
栄町交差点に移転した伊藤呉服店南大津町に伊藤呉服店あらため松坂屋が開店伊藤呉服店は、南大津町の現在地に、新店舗を建設し、大正十四年五月一日に、この地から移っていった。開店を機に、伊藤呉服店あらため松坂屋と呼称するようになった。
伊藤呉服店の店舗を使ってサカエヤが開店伊藤呉服店の旧建物を使って、サカエヤが大正十四年十二月に開店した。食料品を主とするマーケット式の店で、地の利を得て買い物客は多く、繁盛していた。市民に親しまれてきたサカエヤも昭和十八年、きびしい戦局のために、やむなく閉店することになった。
栄町交差点(昭和8年住宅地図)
サカエヤと広小路通りをはさみ、北側に日本生命名古屋支店が建っていた。
名古屋に生命保険会社が始めて誕生したのは、明治二十六年、五月のことだ。地元の資本により、名古屋生命保険会社が、伝馬町の関戸銀行内で営業を開始したのを、嚆矢とする。
日本生命保険会社の進出を機に、帝国生命、明治生命、大同生命などが相次いで名古屋に進出してきた。日本生命は、他の保険会社より、圧倒的に高い契約高をほこっていた。
栄にのびる広小路、通りをまたいで左側のレンガのビルが十一屋日本生命の西隣は、大阪に本店をもつ野村銀行だ。地元の安藤銀行を譲り受けて大正十五年に、支店を名古屋に設けた。
保険会社は、地元に本社を置く会社の力は弱かったが、銀行は伊藤、名古屋、愛知の三銀行が、預金高において、東京、大阪の一流銀行の支店を圧していた。
日本生命、野村銀行の跡地の前を通り、西に進んでゆくと、栄町ビルがある。ここに十一屋百貨店が建っていた。
十一屋百貨店(大正)創立は遠く、元和九年(1623)にさかのぼる。大正四年、栄町に店舗を移し、座売式の呉服店から立売式の百貨店形式に改めた。昭和五年社屋を増築、さらに十一年には地下二階、地上八階の増築を行い、松坂屋と比肩する百貨店となった。増築したのは名前にちなみ昭和十一年十一月十一日のことである。
十一屋の四階には食堂があった。昭和四年(1929)当時の値段をみてみよう。
ランチは五十銭、カレーライス三十銭、ハヤシライス三十銭、いずれもコーヒー付だ。汁粉は八銭、鯖の巻鮓は二十銭、中食は六十銭でさしみ、塩焼、椀盛、新香つきだ。