映画の街の名宝会館
名宝劇場、正式には名古屋宝塚劇場が広小路に開館したのは、昭和十年十一月三日であった。十一月一日付の名古屋新聞夕刊に、開館記念公演の広告が載っている。
中京に新生の大歓楽境 家庭共楽の殿堂! 東宝が誇る娯楽の合理化 暖冷房完備
名古屋宝塚劇場の広告(昭和)大きな活字の踊る下に、鉄筋コンクリート造の壮大な劇場の写真が載っている。記念公演は宝塚星組の「花詩集」であった。第二週の十三日からはグレース・ムーア主演「歌の翼」とキートンの「爆弾成金」であった。キートンの映画には日本語の吹替が使われた。
劇場にはまっ赤なじゅうたんが敷きつめてあった。下駄ばきの客は入口でスリッパとはきかえ三階まである客席に入っていった。
名宝劇場は終戦まで映画を上映した。幸い戦火を免れ、焼け残った劇場で、終戦から二カ月後には佐々木康監督、並木路子主演の「そよ風」が上映された。「そよ風」の主題曲が「リンゴの唄」だ。
赤いリンゴに唇よせて 黙って見ている青い空
焼け跡のいたる所から、並木路子の「リンゴの唄」が聞こえてきた。明るい歌声は、絶望にうちひしがれていた人々に希望と勇気を与えた。
名宝文化劇場について、伊藤紫英は「シネマよるひる」に次のように記している。
昭和十年に名宝ビルができたときに、五階にはアイス・スケート場があった。二階には名宝グリルというレストランもあった。その五階に今は、ダンスホールがあるけれど、私たちはここに映画劇場があったことが忘れられない。その劇場が「名宝文化」だ。
名宝文化はヨーロッパ映画のロードショー劇場であった。「美女と野獣」、「大いなる幻影」、「北ホテル」、「巴里の空の下セーヌは流れる」等数多くの名画が上映された。昭和二九年四月二六日から「七人の侍」を上映するにあたり、劇場名はなごや東宝と改められた。
昭和三十年十二月二十三日、名宝会館の六・七階に名宝スカラ座が誕生した。スクリーンは高さ八メートル、巾二十メートルの大画面で空中大劇場と宣伝していた。
その当時の名宝会館には、二階は名宝ニュース劇場、三階は名宝文化、五階はなごや東宝、六・七階は名宝スカラ座が入っていた。
昭和四十四年二月一日から十二月二十日まで、名宝会館は休館し大改築を行なった。二階は名宝劇場と百二十席のミニシアター名宝文化劇場、三階は百八十席のミニシアター名宝シネマ、六階には名宝スカラ座が入った。
映画の街の名宝会館であった。
その名宝会館も、すでに取りこわされ、広小路から姿を消してしまった。