和洋折衷の町並みへ
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文化のみち二葉館(旧川上貞奴邸)
貞奴は生家の没落で7歳のとき芸妓置屋「浜田屋」の女将の幼女となり、成長すると芸妓としてお座敷にあがり才色兼備の誉れも高く、伊藤博文や西園寺公望など名立たる元勲から可愛がられていました。
1894年、自由民権運動家で「オッペケペー節」で一世を風靡した川上音二郎と結婚します。以後、音二郎と行動をともにし、劇団の看板女優として、1900年のパリ万博出演など多くの海外公演(欧米)を行いました。「マダム貞奴」ので国際的な評価を得ましたが、音二郎との活動は波乱万丈、経済的にも肉体的にも苦難の連続でした。後年、貞奴は川上貞奴は日本の近代女優第一号といわれています。
一方、桃介は武蔵国の農家に生まれ、川越で育ちました。その後慶応義塾に入学した桃介は、学生時代に貞奴と出あい恋におちますが、事情も許さず福沢諭吉の娘房と結婚し養子となって福沢桃介となりました。以後さまざまな困難もありましたが、木曽川の水利権を獲得しダムを建設するなど、電力事業に精力をかたむけ「電力王」として名をなしました。
1911年に音二郎が病で亡くなると、まもなく貞奴は舞台から退きました。そんな中で再開した貞奴と桃介は、名古屋に住まいを建て大正から昭和初期にかけてともに暮らしました。和洋折衷の邸宅で二葉町にあることから「二葉御殿」と呼ばれました。財界人の出入りも多くサロンとしての役割もはたしていました。