No.5- 熱田~古渡(美濃路)

尾張名所図会索引
No1 桶狭間の戦い
No2 有松から宮宿へ
No3 宮宿
No4 熱田神宮
No5 熱田から古渡村
No6 橘町
No7 大須観音周辺
No8 大須門前町周辺
No9 白川公園周辺
No10 碁盤割1
No11 碁盤割2
No12 東照宮祭
No13 堀川1
No14 堀川2
No15 名古屋城
No16 東寺町
No17 東武家町
No18 建中寺・徳川園
No19 城下町周辺
No20 浄心・枇杷島
No21 美濃路清洲
No22 津島街道
No23 佐屋街道
No24 長久手古戦場

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地図

江戸分割図 熱田~一の鳥居
江戸分割図 熱田~一の鳥居

美濃路は、熱田で東海道と分岐して名古屋城下を通り、中山道へつながる街道。熱田から伝馬会所までの美濃路は本町通とも呼ばれている。本町通はさらに北に延びて名古屋城につながっている。熱田神宮を過ぎたところにある二の鳥居をくぐり、尾頭にある一ノ鳥居へ向かう。

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端午馬の塔
端午馬の塔

馬の塔はかつて尾張、西三河で行われた代表的祭礼習俗のひとつ。標具(ダシ)と呼ばれる札や御弊を立て、豪華な馬具で飾った馬を社寺へ奉納するものである。熱田神宮でも神事として5月におこなわれていた。

誓願寺 頼朝公生誕地
誓願寺 頼朝公生誕地

平安時代末期、熱田大宮司藤原氏の別邸があったあたりで、藤原季範の 娘由良御前は、源義朝の正室となり、実家に帰り頼朝を生んだといわれている。享禄二年(1529)別邸跡に誓願寺が建立された。(名古屋市教育委員会案内板参考) 図絵右端には、現在は熱田神宮境内に移転されたきよめ茶屋が描かれている。

源義朝(頼朝の父)最後の図
源義朝(頼朝の父)最後の図

平清盛と争った平治の乱(1160)で敗れた源義朝(頼朝の父)は東国を目指し尾張国野間の長田忠致とその子・景致のもとに身を寄せるが、長田父子に裏切られ入浴中に殺害された。義朝は野間大坊の境内に弔われている。

藤団子(とうだんご)
藤団子(とうだんご)

古来より熱田の名物として伝わる干菓子「藤団子」は、米粉や砂糖を使って 出来た五色の環を、麻ひもで結っている。薬玉の五色にならい、厄除け、 五穀豊穣を願った歴史ある銘菓。(きよめ餅総本家HPより)

旗屋町松飾り
旗屋町松飾り
熱田神宮一の鳥居
熱田神宮一の鳥居

熱田神宮のまわりには八つの鳥居があった。そのなかでも尾頭にあった一の鳥居は ひときは大きく、三丈五尺(11.6m)もあり道行く人を驚かせた。 現在、国道19号線の西側に鳥居跡の石碑が建てられている。

江戸分割図 一の鳥居~古渡村
江戸分割図 一の鳥居~古渡村

古渡村は、名古屋城下の南端橘町に隣接していた。また、鎌倉時代に整備された東国と京都を結ぶ鎌倉街道が山王神社の北側を通っていた。

古渡 川口屋飴店
古渡 川口屋飴店

古渡村は、名古屋城下の入口橘町(大木戸があった)に隣接していた。 川口屋は本町通の東側に面して飴とおこしを販売していた。 神宮詣でのいき返りの客で繁盛した。

古渡稲荷(山王神社)と小栗街道
古渡稲荷(山王神社)と小栗街道

古渡稲荷の前で美濃路(本町通)は小栗街道(鎌倉街道の一部)と出会う。 小栗街道は、小栗橋をわたり萱津を通り京都へと通じていた。

動画

【動画】尾張名所図会で歴史探訪No5-美濃路(本町通)熱田から古渡村

尾張名所図会原本

  • 熱田神宮一の鳥居

     

  • 古渡 川口屋飴店

    古渡 川口屋飴店

美濃路沿いの関連史跡

  • 誓願寺山門

    誓願寺山門

  • 頼朝公産湯の井戸(誓願寺境内)

    頼朝公産湯の井戸(誓願寺境内)

  • 誓願寺案内板

    誓願寺案内板

  • 青大悲寺と鉄観音案内板

    青大悲寺と鉄観音案内板0

  • 鉄地蔵

    鉄地蔵

  • 熱田神宮一の鳥居跡石碑

    熱田神宮一の鳥居跡石碑

  • 熱田神宮一の鳥居跡石碑

    熱田神宮一の鳥居跡石碑

  • 古渡稲荷(山王神社)0

    古渡稲荷(山王神社)

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