- 尾張名所図会索引
- No1 桶狭間の戦い
- No2 有松から宮宿へ
- No3 宮宿
- No4 熱田神宮
- No5 熱田から古渡村
- No6 橘町
- No7 大須観音周辺
- No8 大須門前町周辺
- No9 白川公園周辺
- No10 碁盤割1
- No11 碁盤割2
- No12 東照宮祭
- No13 堀川1
- No14 堀川2
- No15 名古屋城
- No16 東寺町
- No17 東武家町
- No18 建中寺・徳川園
- No19 城下町周辺
- No20 浄心・枇杷島
- No21 美濃路清洲
- No22 津島街道
- No23 佐屋街道
- No24 長久手古戦場
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三種の神器の一つ草薙神剣(くさなぎのつるぎ)を祀る熱田神宮は、伊勢神宮につぐ大宮として知られ、年間650万人にのぼる人が参拝に訪れる。
戦国時代の真っ只中の亨禄年間(1528~31)の熱田神宮周辺を描いた尾張名所図会。原版は白黒の図絵ですが、 これにデジタル着色を施しました。
名古屋台地の南端にある熱田は、その昔「蓬莱島」と呼ばれていた。海に突き出た地形から不老不死の仙人が住む島と考えられた。名古屋城は、熱田の左手に位置することから蓬左城とも呼ばれた。伊勢湾の入り海に面して鎮座していた熱田神宮は、1900年余の歴史をもつ伊勢の神宮につぐ大宮。三種の神器の一つ草薙神剣が祀られている。
熱田神宮では古くより伝わる年間約六十もの祭典と、約十におよぶ特殊神事が今に伝えられている。そのうちの代表的な祭典と神事を約1年半の取材をへて紹介している。
取材協力:熱田神宮
日本武尊(やまとたけるのみこと)第12代景行天皇の子誕生した。天皇の命を受けて九州や出雲などの平定をおこなった。東国の平定へ向かう途中で尾張の豪族の娘宮簀媛(みやすひめ)と出会い、結婚を約束して旅立ったち、これに成功して尾張の宮簀媛元へ帰ってきた。ふたたび大和朝廷から伊吹山の山の神を征伐する命令が下った。油断もあってヤマトタケルは草薙の剣をみやずひめの元に残して遠征に向かった。ヤマトタケルは大きな抵抗を受けて、病を患い衰弱していった。満身創痍の中、朝廷のある大和へ帰る途中の能褒野(のぼの)で最後を迎えた。人々が泣き悲しむなか、お墓から一羽の大きな白鳥が飛び立ったと伝えられている。
踏歌神事(とうかしんじ)について-熱田神宮HP紹介文
平安朝時代の宮中行事の流れを汲むといわれます。舞人が歌曲にあわせ桜を冠にかざして舞い春きざす大地を踏み除厄と招福を 祈る神事です。「アラレバシリの神事」「オベロベロ祭り」とも呼ばれます。
歌に合わせ、卯杖舞(うづえのまい)や扇舞(おうぎのまい)を舞い、詔文(しょうもん)に合せて振鼓を振ります。この振鼓の音色を聞き、 参拝者が夫々その年の豊凶を占っております。
当日は午前10時より影向間社(ようごのましゃ)と本宮、午後1時より別宮と大幸田神社(おおさきだじんじゃ)の各ご神前で順次行われます。
歩射神事(ほしゃしんじ)について-熱田神宮HP紹介文
豊年と除災とを祈る神事で、午後1時より神楽殿前庭で行っております。俗に「御的(おまとう)」ともいわれ、大勢の参拝者がおとずれます。
初立・中立・後立の各2人の射手(神職)が矢を2本づつ、各3回、計36本を奉射します。
最後の矢が射られたと同時に参拝者が一斉に大的を目指して押しかけ、特に大的の千木(ちぎ:大的に付した木片)は古くより魔除けの信仰があり、 多数の参拝者がこれを得ようと奪いあうさまは壮観です。
春に先立って農林水産物の豊作を祈る大祭、一年間の五穀豊穣を祈る祭り。 供え物をいれた櫃を御供所から 内陣へ運ぶ祭礼。大篝(かがり)の他、無数の灯火を点します。 秋の新嘗祭も同じ内容で行われます。
舞楽神事(ぶがくしんじ)について-熱田神宮HP紹介文
新緑にあざやかに映える朱塗りの高舞台。響き渡る舞楽の音色にあわせ、祓いの意味が込められた振鉾(えんぶ)から長慶子(ちょうげいし) まで次々に奉奏します。
神職・巫子並びに桐竹会(当神宮の雅楽奉仕団体)会員により、平安の昔のままに神前に奉納されます。
当神宮宝物館に収蔵するあまたの舞楽面は、平安から鎌倉期の製作と推定される貴重な文化財です。
春敲門は戦災で焼失した熱田神宮の東門のこと。春敲門古額は黒漆を塗りで、底に金泥を押した重厚華麗なものであったが、現状はわずかに金泥を残す程度である。