- 尾張名所図会索引
- No1 桶狭間の戦い
- No2 有松から宮宿へ
- No3 宮宿
- No4 熱田神宮
- No5 熱田から古渡村
- No6 橘町
- No7 大須観音周辺
- No8 大須門前町周辺
- No9 白川公園周辺
- No10 碁盤割1
- No11 碁盤割2
- No12 東照宮祭
- No13 堀川1
- No14 堀川2
- No15 名古屋城
- No16 東寺町
- No17 東武家町
- No18 建中寺・徳川園
- No19 城下町周辺
- No20 浄心・枇杷島
- No21 美濃路清洲
- No22 津島街道
- No23 佐屋街道
- No24 長久手古戦場
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地図
江戸時代から昭和時代初期まで、白川公園周辺には中小の寺院が集積していた。第二次世界大戦中に寺院は郊外に移転された。戦後の一時期、米軍の家族の住居として使用され、市民からはアメリカ村と呼ばれていた。進駐軍の撤退後、公園として整備され名古屋市科学館や美術館が建設された。 2011年にはニューアルオープンした名古屋市科学館のプラネタリウムには多くの入場者が訪れている。
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尾張名所図会デジタル着色
南寺町寺院群1
十王堂、隆正寺、光明寺、願故院、寿経寺、誓願寺、養林寺、大林寺、芳春院、西光院、法應寺、西光院、仙昌院、宝珠院、大運寺、尋盛寺、瑞宝寺、法蔵寺、徳林寺などの寺があったが、太平洋戦争末期に市内各所に移転され、戦後は進駐軍の宿舎になり、現在は白川公園となっている。
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政秀寺は若き日に織田信長の素行をいさめようと諌死した平手政秀の菩提を弔うため天文22年(1553)建立された。小牧・長久手の戦いで焼失、清洲に再興されたが清洲越しで現在地に移転された。白林寺は、尾張藩初代藩主徳川義直が附家老成瀬正成のために建立した寺院。成瀬家の菩提寺。
八世紀初頭に名古屋城三の丸の地に創建されたと伝わる。天王社(現在の那古野神社)に隣接していた。名古屋城建設のため現在地に移転され、尾張徳川家の氏神であり、名古屋の総鎮守として崇拝された。
江戸時代、例祭である若宮祭は名古屋東照宮の東照宮祭、天王社の天王祭と並んで名古屋三大祭と言われた。当時は天王祭と同時期に行われ、山車7両が神輿が三之丸天王社を往復した。戦災で山車のほとんどが焼失、現在は福禄寿車のみで行われている。