アーカイブス
-
2015年7月20日
『名所図会』は、江戸時代に全国各地で名所旧跡を文章と絵で紹介した観光案内所。全国で出版され好評を博しました。 『尾張名所図会』は尾張地方を紹介したもので、『尾張志』の編纂に当った岡田啓と西枇杷島の青果問屋の主人野口道直により 出版...
-
2015年7月19日
徳川家康は名古屋城の南側を京にならって外堀通から堀切筋(広小路)までの間を碁盤の目に区画した。 堀切筋は万治の大火(1660)の後、4倍以上拡幅され広小路と改名された。
-
2015年7月18日
江戸時代、本町通の西、現在の白川公園周辺には中小の寺院が集積していた。昭和時代に入り道路建設のため郊外に移転された。 終戦後の一時期、進駐軍の宿舎が置かれていたが撤退後は白川公園として整備され、科学館、美術館などが建設された。
-
2015年6月22日
名古屋城下南寺町の中心門前町の周辺には、万松寺、総見寺、性高院などの名刹が移転された。
-
2015年6月17日
明治、大正、昭和時代に入っても大須には芝居小屋、映画館などが軒を連ねて夜遅くまでにぎわいました。 昭和時代の半ばを過ぎたころから、栄のにぎわいとは対照的に大須の商店街の衰退が始まりました。 若宮大通で栄地区からの人の流れが分断され...
-
2015年4月24日
古渡村を過ぎ本町通を北上し橘町に入るところに大木戸が設けられていた。ここが名古屋城下の南端、周辺には東別院、東輪寺、崇覚寺、 栄国寺、妙善寺などの寺があり南寺町の南端ともなっていた。
-
2015年3月31日
本町通(美濃路の一部)は、熱田から名古屋城へ通じる名古屋の基幹街道。熱田周辺を過ぎて古渡村にいたる道程は、 当時、人家も少なく物騒なものであったという。古渡に隣接する橘町には、大木戸が設けられ名古屋城下の入口に なっていた。
-
2015年3月23日
第12代景行天皇の御代に日本武尊(やまとたけるのみこと)の妃の宮簀媛命(みやすひめのみこと)が三種の神器の草薙剣(くさなぎの つるぎ) をこの地に祀ったのが起源とされ伊勢神宮に次ぐ大社です。
-
2015年3月16日
宮宿は熱田神宮のお膝元、本陣2、脇本陣1、旅籠248、家数2924軒、人口10342人の東海道でも最大規模を誇る宿場であった。伝馬町から神戸町にかけて本陣、脇本陣、問屋場、西浜御殿、船番所が建ち並んでおり、往来の人並みが途絶えなか...
-
2015年3月8日
尾張名所図会を紹介しながら、東海道有松~鳴海宿~呼続までの街道沿いの歴史遺産を見る。