- 尾張名所図会索引
- No1 桶狭間の戦い
- No2 有松から宮宿へ
- No3 宮宿
- No4 熱田神宮
- No5 熱田から古渡村
- No6 橘町
- No7 大須観音周辺
- No8 大須門前町周辺
- No9 白川公園周辺
- No10 碁盤割1
- No11 碁盤割2
- No12 東照宮祭
- No13 堀川1
- No14 堀川2
- No15 名古屋城
- No16 東寺町
- No17 東武家町
- No18 建中寺・徳川園
- No19 城下町周辺
- No20 浄心・枇杷島
- No21 美濃路清洲
- No22 津島街道
- No23 佐屋街道
- No24 長久手古戦場
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現在の地図
堀川に沿って北に進む美濃路は、左に折れ清洲へ進む。このあたりが名古屋城下の西端で木戸があり夜になると閉じられた。新道筋には寺院が並んで配置され西側の防備にあたった。
尾張名所図会デジタル着色
美濃路
江戸時代の地図
尾張名所図会デジタル着色
榎白山神社は桶狭間合戦に出陣の際、織田信長が戦勝祈願した神社。江戸時代には旅人の休息地、立場がありにぎわった。
藤原師長は流罪先の尾張で知り合った土地の娘と恋仲になり「琵琶 白菊」を与えたが、結ばれぬ恋を悲観した娘は、入水自殺をはかった、という悲恋物語。
庄内川にかかる枇杷島橋は元和八年(1622)に完成した。東西に二つの橋を持ち大橋は七十間(約129m)、小橋は二十七間(約50m)ある日本でも最大級の橋であった。川のなかには中島があり二つの橋をつないでいた。
江戸時代、山田家、野口家により創設された下小田井の市は日本三大市場の一つであった。山田九左衛門家の住居は現在問屋記念館として西枇杷島(清須市)に移転復元され江戸時代の青果問屋の様子を現代に伝えている。