No.13 堀川01

尾張名所図会索引
No1 桶狭間の戦い
No2 有松から宮宿へ
No3 宮宿
No4 熱田神宮
No5 熱田から古渡村
No6 橘町
No7 大須観音周辺
No8 大須門前町周辺
No9 白川公園周辺
No10 碁盤割1
No11 碁盤割2
No12 東照宮祭
No13 堀川1
No14 堀川2
No15 名古屋城
No16 東寺町
No17 東武家町
No18 建中寺・徳川園
No19 城下町周辺
No20 浄心・枇杷島
No21 美濃路清洲
No22 津島街道
No23 佐屋街道
No24 長久手古戦場

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地図

江戸時代地図(堀川) 七里渡し~尾頭橋 
江戸時代地図(堀川) 七里渡し~尾頭橋

堀川は、名古屋城築城とともに熱田台地の西端を開削して作られた運河。徳川家康の命により福島正則が 工事をおこなった。白鳥に材料置場・船置場として大池が掘られた。
高台にある本遠寺からは熱田沖が一望 できた。法持寺のとなりにあった白鳥陵は、6世紀初頭に築造されたと伝えられる前方後円墳。死後、白鳥となって この地に戻った、日本武尊の墓と伝えられている。 断夫山古墳は、東海地方最大の前方後円墳。日本武尊(やまとたけるのみこと)の妃、宮簀媛命(みやすひめのみこと)の墓として伝えられている。年に一回だけ立ち入りが許されていた。
沢観音は、熱田神宮の周辺にあった四観音のひとつ。境内から鈴鹿山系も望まれる名古屋三景のひとつであった。

尾張名所図会デジタル着色

法持寺・白鳥陵
本遠寺

本遠寺境内から見た熱田沖。右手に御船蔵、左手に宮宿が見え知多半島へと続いている。本遠寺の前身法華堂は、約1200年前桓武天皇の勅命で最澄が熱田神宮境内で100日間法華経を読誦した時、信者から寄進された法華堂。建長5年(1253)日蓮聖人伊勢神宮の帰途、熱田神宮にも参拝された。その孫弟子日澄上人は近国の布教に努めた。本遠寺はその布教のために信者の寄進により法華堂を現在地に移転、増築し創建された。

法持寺・白鳥陵
法持寺・白鳥陵

白鳥古墳は、5世紀末頃から6世紀前半頃に築造された前方後円墳で全長が約74m、最大幅25mの大きさを持つ。法持寺のすぐ隣にあるこの古墳は、白鳥となってこの地に戻った、日本武尊の墓と伝えられている。

断夫山(鷲峰山)
断夫山(鷲峰山)

断夫山古墳は、東海地方最大の前方後円墳。尾張の豪族の娘で日本武尊(やまとたけるのみこと)の妃、 宮簀媛命(みやすひめのみこと)の墓として伝えられている。普段は立ち入り禁止となっていたが、3月3日の桃の節句だけは入山が許され、熱田沖を展望することが出来た。

沢観音(妙安寺)
沢観音(妙安寺)

商人であった津田富春が高蔵宮のそばで沢という所にあるさびれた観音堂の本尊を移して建てた臨済宗の寺院。熱田神宮の周辺にあった四観音のひとつで、堀川沿いにあり遠くは鈴鹿山系も望まれる名古屋三景のひとつ。

住吉神社
住吉神社

享保19年(1734)、堀川を行き交う船の安全を祈って大阪の住吉神を勧請した。当初は新尾頭町道筋東側の小堂内に鎮座していたが、宝暦12年(1762)堀川沿い東岸に移転された。かつては伊勢、知多、熊野の沿岸にまで住吉神社の威霊は及んだと伝えられる。

動画

【動画】堀川(熱田~尾頭橋)

尾張名所図会原本

  • 法持寺・白鳥陵

    法持寺・白鳥陵

  • 沢観音妙安寺

    沢観音妙安寺

堀川周辺

  • 堀川

    堀川

  • 大瀬小橋

    大瀬小橋

  • 大瀬古魚市場跡

    大瀬古魚市場跡

  • 大瀬古魚市場跡

    大瀬古魚市場跡

  • 法持寺

    法持寺

  • 白鳥古墳

    白鳥古墳

  • 白鳥公園

    白鳥公園

  • 名古屋国際会議場

    名古屋国際会議場

  • 名古屋国際会議場

    名古屋国際会議場

  • 太夫掘

    太夫掘

  •  白鳥庭園

    白鳥庭園

  •  白鳥庭園

    白鳥庭園

  • 段夫山古墳

    段夫山古墳

  • 段夫山古墳

    段夫山古墳

  • 妙安寺

    妙安寺

  • 妙安寺

    妙安寺

  • 住吉神社

    住吉神社

  • 住吉神社

    住吉神社

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