- 尾張名所図会索引
- No1 桶狭間の戦い
- No2 有松から宮宿へ
- No3 宮宿
- No4 熱田神宮
- No5 熱田から古渡村
- No6 橘町
- No7 大須観音周辺
- No8 大須門前町周辺
- No9 白川公園周辺
- No10 碁盤割1
- No11 碁盤割2
- No12 東照宮祭
- No13 堀川1
- No14 堀川2
- No15 名古屋城
- No16 東寺町
- No17 東武家町
- No18 建中寺・徳川園
- No19 城下町周辺
- No20 浄心・枇杷島
- No21 美濃路清洲
- No22 津島街道
- No23 佐屋街道
- No24 長久手古戦場
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地図
有松は、慶長13年(1608)に尾張藩により設置された。竹田庄九郎らによって誕生した有松絞りは、尾張藩の特産品として保護され東海道を往来する旅人により街道一の名産品とうたわれた。
平部常夜灯を過ぎ東海道鳴海宿へ入ると、扇川を越えた小高い丘の上に応永三年(1396)根古屋の城主安原宗範の創建した瑞泉寺がある。瑞泉寺の背後には、桶狭間合戦の時、織田軍が陣を構えた善照寺砦が丘の上にあり、今川方の鳴海城をにらんでいる。
686年に創建された成海神社は、扇川に面した天神山に置かれていた。1394年安原宗範がその場所に根古屋城を築いたため、現在地に移転された。
江戸時代星崎・前浜では良質な塩が生産されていした。生産された塩は、塩付街道から足助を経由して信州方面に運ばれた。塩付街道の通る御器所村の沢庵漬はこの塩を利用して盛んになった。
笠寺観音は、7世紀に僧侶善光が、浜辺に打上げられた流木で十一面観音像を 彫り、それを祀るためにお堂を建立したと伝えられている。その後、そのお堂は朽ち果てて雨ざらしになっていた。それを見かねて娘が観音像を笠で覆っていた。その光景を旅の途中で見た藤原 兼平が、その娘を見初め妻にした。二人は現在地に笠覆寺(りゅうふくじ)を建立した。この寺の名は、笠で覆われた寺から由来している。
天平時代(8世紀)に善光上人が建立した。甚目寺観音、荒子観音、竜泉寺観音とならび、尾張四観音の一つに数えられて名古屋城を守護する役割もになっていた。
富部神社の創建はは慶長8年(1603)海を広範に眺めることのできる景勝の地であり清洲城主 松平忠(徳川家康四男)が病気平癒の祈願をしたところ、日ならずして快復し、その恩頼奉謝のしるしとして本殿以下拝殿・祭文殿・廻廊が創建された。桃山建築の姿を残す本殿は、国の重要文化財に指定され名古屋市南部の笠寺台地に鎮座している。
塚田神社は名古屋市:瑞穂区にある神社。その土地の池に棲むと云われた龍神を祀るために建てられた。 藤原師長は、藤原頼長の長男で平安時代後期、太政大臣の地位にあった公卿。琵琶の名手として知られていたが、政変により失脚、平清盛によって解任され尾張国に流罪にされた。
松尾芭蕉が記した「寝覚めの里よびつぎ」は、宮宿から渡し舟の出航を知らせる声が人から人へ呼びついがれたことから呼続となったと言われている。
熱田神宮に参詣する人たちがこの川でみそぎをしたことからこの名が付けられたと言われている。 川筋が蛇行し洪水の原因ともなっていたので、明治16年(1883)運河に改修する計画が建てられ明治43年(1910)新堀川が竣工した。