- 尾張名所図会索引
- No1 桶狭間の戦い
- No2 有松から宮宿へ
- No3 宮宿
- No4 熱田神宮
- No5 熱田から古渡村
- No6 橘町
- No7 大須観音周辺
- No8 大須門前町周辺
- No9 白川公園周辺
- No10 碁盤割1
- No11 碁盤割2
- No12 東照宮祭
- No13 堀川1
- No14 堀川2
- No15 名古屋城
- No16 東寺町
- No17 東武家町
- No18 建中寺・徳川園
- No19 城下町周辺
- No20 浄心・枇杷島
- No21 美濃路清洲
- No22 津島街道
- No23 佐屋街道
- No24 長久手古戦場
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地図
尾張名所図会デジタル着色
名古屋城は蓬左城とも呼ばれていた。「蓬左」とは蓬莱の宮(熱田神宮)の左側にあることを示している。名古屋城は江戸初期の代表的な平城で、本丸、 二の丸、西の丸、御深井丸、三の丸からなっており、五層の天守と小天守が連結している。天守の屋根の両端には金鯱が飾られ名古屋城下を見下ろした。
名古屋城本丸御殿は、天守閣とともに日本城郭で1番目に国宝に指定された建物だったが、終戦直前の 1945年5月に戦災で焼失した。天守閣は1954年、鉄筋で再建、本丸御殿は2018年完成をめざし、建築当時図面をもとに、忠実に復元されている。
慶長十五年(1610)加藤清正は大小天守閣の石垣工事を行った。清正は巨石を修羅(重い石材などを運搬するために用いられた木製の大型そり)に乗せて運ぶとき石の上に乗り気勢を上げたと伝えられている。
創建は延喜11年(911)といわれ、創建時より若宮八幡社と隣接していた。名古屋城築城の際には移転の予定であったがご神託によりとどまり若宮神社のみ現在地に移転した。明治9年(1876)旧藩校明倫堂跡地に移転、那古野神社と改称した。
亀王天王社(現在の那古野神社)例祭である天王祭は東照宮祭、若宮祭とならんで名古屋三大祭とされた。毎年6月15・16日に若宮祭と同時に行われ二つの祭礼を総称して祇園祭と呼ばれていた。
尾張藩初代藩主徳川義直が元和5年(1619)、父徳川家康遺徳をしのび名古屋城内三の丸、亀尾天王社(現在の那古野神社)の隣地に東照宮を建立した。地名から三之丸東照宮とも呼ばれた。明治9年(1876),名古屋鎮台建設のため旧藩校明倫堂跡地の現在地に移転した。