No15. 名古屋城

尾張名所図会索引
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地図

江戸時代地図(本町通5丁目~1丁目周辺)
江戸時代の名古屋城郭図

尾張名所図会デジタル着色

名古屋城
名古屋城

名古屋城は蓬左城とも呼ばれていた。「蓬左」とは蓬莱の宮(熱田神宮)の左側にあることを示している。名古屋城は江戸初期の代表的な平城で、本丸、 二の丸、西の丸、御深井丸、三の丸からなっており、五層の天守と小天守が連結している。天守の屋根の両端には金鯱が飾られ名古屋城下を見下ろした。
名古屋城本丸御殿は、天守閣とともに日本城郭で1番目に国宝に指定された建物だったが、終戦直前の 1945年5月に戦災で焼失した。天守閣は1954年、鉄筋で再建、本丸御殿は2018年完成をめざし、建築当時図面をもとに、忠実に復元されている。

名古屋城左
名古屋城左
名古屋城中
名古屋城中
名古屋城右
名古屋城右
加藤清正 石引きの図
加藤清正 石引きの図

慶長十五年(1610)加藤清正は大小天守閣の石垣工事を行った。清正は巨石を修羅(重い石材などを運搬するために用いられた木製の大型そり)に乗せて運ぶとき石の上に乗り気勢を上げたと伝えられている。

亀尾天王社(三之丸天王社)
亀尾天王社(三之丸天王社)

創建は延喜11年(911)といわれ、創建時より若宮八幡社と隣接していた。名古屋城築城の際には移転の予定であったがご神託によりとどまり若宮神社のみ現在地に移転した。明治9年(1876)旧藩校明倫堂跡地に移転、那古野神社と改称した。

亀尾天王社(三之丸天王社)
亀王天王社祭礼

亀王天王社(現在の那古野神社)例祭である天王祭は東照宮祭、若宮祭とならんで名古屋三大祭とされた。毎年6月15・16日に若宮祭と同時に行われ二つの祭礼を総称して祇園祭と呼ばれていた。

亀尾天王社(三之丸天王社)
三の丸東照宮

尾張藩初代藩主徳川義直が元和5年(1619)、父徳川家康遺徳をしのび名古屋城内三の丸、亀尾天王社(現在の那古野神社)の隣地に東照宮を建立した。地名から三之丸東照宮とも呼ばれた。明治9年(1876),名古屋鎮台建設のため旧藩校明倫堂跡地の現在地に移転した。

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動画

【動画】名古屋城ボランティアガイド

現在の名古屋城内

  • 案内図

    案内図

  • 正門

    正門

  • 榧の木-天然記念物

    榧の木-天然記念物

  • 西南隅櫓(重要文化財)

    西南隅櫓(重要文化財)

  • 東南隅櫓(重要文化財)

    東南隅櫓(重要文化財)

  • 二之丸広場

    二之丸広場

  • 二の丸茶亭

    二の丸茶亭

  • 名勝 二之丸庭園

    名勝 二之丸庭園

  • 本丸表二之門(重要文化財)

    本丸表二之門(重要文化財)

  • 本丸御殿

    本丸御殿

  • 旧二之丸東二之門(重文)

    旧二之丸東二之門(重文)

  • 清正石

    清正石

  • 名古屋城天守閣

    名古屋城天守閣

  • 不明門(焼失再建)

    不明門(焼失再建)

  • 乃木倉庫

    乃木倉庫

  • 西北隅櫓(重要文化財)

    西北隅櫓(重要文化財)

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