- 尾張名所図会索引
- No1 桶狭間の戦い
- No2 有松から宮宿へ
- No3 宮宿
- No4 熱田神宮
- No5 熱田から古渡村
- No6 橘町
- No7 大須観音周辺
- No8 大須門前町周辺
- No9 白川公園周辺
- No10 碁盤割1
- No11 碁盤割2
- No12 東照宮祭
- No13 堀川1
- No14 堀川2
- No15 名古屋城
- No16 東寺町
- No17 東武家町
- No18 建中寺・徳川園
- No19 城下町周辺
- No20 浄心・枇杷島
- No21 美濃路清洲
- No22 津島街道
- No23 佐屋街道
- No24 長久手古戦場
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地図
美濃路は、熱田で東海道と分岐して名古屋城下を通り、中山道へつながる街道。熱田から伝馬会所までの美濃路は本町通とも呼ばれている。本町通はさらに北に延びて名古屋城につながっている。熱田神宮を過ぎたところにある二の鳥居をくぐり、尾頭にある一ノ鳥居へ向かう。
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馬の塔はかつて尾張、西三河で行われた代表的祭礼習俗のひとつ。標具(ダシ)と呼ばれる札や御弊を立て、豪華な馬具で飾った馬を社寺へ奉納するものである。熱田神宮でも神事として5月におこなわれていた。
平安時代末期、熱田大宮司藤原氏の別邸があったあたりで、藤原季範の 娘由良御前は、源義朝の正室となり、実家に帰り頼朝を生んだといわれている。享禄二年(1529)別邸跡に誓願寺が建立された。(名古屋市教育委員会案内板参考) 図絵右端には、現在は熱田神宮境内に移転されたきよめ茶屋が描かれている。
平清盛と争った平治の乱(1160)で敗れた源義朝(頼朝の父)は東国を目指し尾張国野間の長田忠致とその子・景致のもとに身を寄せるが、長田父子に裏切られ入浴中に殺害された。義朝は野間大坊の境内に弔われている。
古来より熱田の名物として伝わる干菓子「藤団子」は、米粉や砂糖を使って 出来た五色の環を、麻ひもで結っている。薬玉の五色にならい、厄除け、 五穀豊穣を願った歴史ある銘菓。(きよめ餅総本家HPより)
熱田神宮のまわりには八つの鳥居があった。そのなかでも尾頭にあった一の鳥居は ひときは大きく、三丈五尺(11.6m)もあり道行く人を驚かせた。 現在、国道19号線の西側に鳥居跡の石碑が建てられている。
古渡村は、名古屋城下の南端橘町に隣接していた。また、鎌倉時代に整備された東国と京都を結ぶ鎌倉街道が山王神社の北側を通っていた。
古渡村は、名古屋城下の入口橘町(大木戸があった)に隣接していた。 川口屋は本町通の東側に面して飴とおこしを販売していた。 神宮詣でのいき返りの客で繁盛した。
古渡稲荷の前で美濃路(本町通)は小栗街道(鎌倉街道の一部)と出会う。 小栗街道は、小栗橋をわたり萱津を通り京都へと通じていた。