- 尾張名所図会索引
- No1 桶狭間の戦い
- No2 有松から宮宿へ
- No3 宮宿
- No4 熱田神宮
- No5 熱田から古渡村
- No6 橘町
- No7 大須観音周辺
- No8 大須門前町周辺
- No9 白川公園周辺
- No10 碁盤割1
- No11 碁盤割2
- No12 東照宮祭
- No13 堀川1
- No14 堀川2
- No15 名古屋城
- No16 東寺町
- No17 東武家町
- No18 建中寺・徳川園
- No19 城下町周辺
- No20 浄心・枇杷島
- No21 美濃路清洲
- No22 津島街道
- No23 佐屋街道
- No24 長久手古戦場
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慶安4年(1651),第二代目尾張藩主徳川 光友が、父の藩祖義直の菩提を弔うために建立し、以後、尾張藩主の菩提寺となっている。 徳川家霊廟(御霊屋)は県指定有形文化財、総門、 三門、鐘楼、御成門・本堂・経堂・開山堂 ・源正公廟は市指定有形文化財、徳興殿は 国登録有形文化財となっている。
尾張名所図会デジタル着色
尾張藩初代藩主義直の生母相応院お亀の方の菩提寺。
動画
建中寺
徳川園は、徳川御三家筆頭である、尾張藩二代藩主光友が、元禄8年(1695)に自らの造営による隠居所である大曽根屋敷に移り住んだことを起源としている。当時の敷地は約13万坪(約44ha)の広大さで、庭園内の泉水には16挺立の舟を浮かべたと言われている。光友の没後、この地は尾張藩家老職の成瀬、石河、渡邊三家に譲られましたが、明治22年(1889)からは尾張徳川家の邸宅となった。
昭和6年(1931年)、十九代当主義親から邸宅と庭園の寄付を受けた名古屋市は整備改修を行い、翌年「徳川園」が公開された。昭和20年(1945年)に大空襲により園内の大部分を焼失した後は一般的な公園として利用されてきたが、平成16年秋に日本庭園としてリニューアルした。園内には徳川美術館と蓬左文庫を併設している。