No18. 建中寺、徳川園周辺

尾張名所図会索引
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No2 有松から宮宿へ
No3 宮宿
No4 熱田神宮
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No6 橘町
No7 大須観音周辺
No8 大須門前町周辺
No9 白川公園周辺
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No16 東寺町
No17 東武家町
No18 建中寺・徳川園
No19 城下町周辺
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江戸時代の東武家町
江戸時代の建中寺周辺

慶安4年(1651),第二代目尾張藩主徳川 光友が、父の藩祖義直の菩提を弔うために建立し、以後、尾張藩主の菩提寺となっている。 徳川家霊廟(御霊屋)は県指定有形文化財、総門、 三門、鐘楼、御成門・本堂・経堂・開山堂 ・源正公廟は市指定有形文化財、徳興殿は 国登録有形文化財となっている。

尾張名所図会デジタル着色

建中寺
建中寺
建中寺右
建中寺右
建中寺左
建中寺左

尾張藩初代藩主義直の生母相応院お亀の方の菩提寺。

浄土宗 宝亀山 相応寺
浄土宗 宝亀山 相応寺

動画

【動画】建中寺 村上真瑞 住職に聞く

建中寺

  • 江戸期の建中寺境内

    江戸期の建中寺境内

  • 総門

    総門

  • 三門(山門)

    三門(山門)

  • 本堂

    本堂

  • 鐘楼

    鐘楼

  • 経堂内部

    経堂内部

  •  徳川光友公墓所

    徳川光友公墓所

  • 御霊廟

    御霊廟

江戸時代の徳川園周辺
江戸時代の徳川園周辺

徳川園は、徳川御三家筆頭である、尾張藩二代藩主光友が、元禄8年(1695)に自らの造営による隠居所である大曽根屋敷に移り住んだことを起源としている。当時の敷地は約13万坪(約44ha)の広大さで、庭園内の泉水には16挺立の舟を浮かべたと言われている。光友の没後、この地は尾張藩家老職の成瀬、石河、渡邊三家に譲られましたが、明治22年(1889)からは尾張徳川家の邸宅となった。
昭和6年(1931年)、十九代当主義親から邸宅と庭園の寄付を受けた名古屋市は整備改修を行い、翌年「徳川園」が公開された。昭和20年(1945年)に大空襲により園内の大部分を焼失した後は一般的な公園として利用されてきたが、平成16年秋に日本庭園としてリニューアルした。園内には徳川美術館と蓬左文庫を併設している。

動画

【動画】武家文化の郷 徳川園

  • 徳川園全体図

    徳川園全体図

  • 黒門

    黒門

  • 大曽根の滝

    大曽根の滝

  • 池泉回遊式庭園

    池泉回遊式庭園

  • 徳川美術館旧館

    徳川美術館旧館

  • 徳川美術館新館

    徳川美術館新館

  • 蓬左文庫

    蓬左文庫

  • ありし日の御文庫(名古屋城内)

    ありし日の御文庫(名古屋城内)

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