No8. 美濃路(本町通)大須門前町周辺

尾張名所図会索引
No1 桶狭間の戦い
No2 有松から宮宿へ
No3 宮宿
No4 熱田神宮
No5 熱田から古渡村
No6 橘町
No7 大須観音周辺
No8 大須門前町周辺
No9 白川公園周辺
No10 碁盤割1
No11 碁盤割2
No12 東照宮祭
No13 堀川1
No14 堀川2
No15 名古屋城
No16 東寺町
No17 東武家町
No18 建中寺・徳川園
No19 城下町周辺
No20 浄心・枇杷島
No21 美濃路清洲
No22 津島街道
No23 佐屋街道
No24 長久手古戦場

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地図

江戸時代地図(大須裏」門前町周辺)
江戸時代地図(大須裏門前町周辺)

裏門前町は門前町の東に位置している。万松寺は、現在の中区錦と丸の内2丁目・3丁目にあったが、名古屋城下町建設のため現在地に移転した。織田家の菩提寺で、境内に織田信長の父信秀の墓がある。総見寺は清洲から移転された臨済宗妙心寺派の寺院。本能寺の変で亡くなった信長を弔うため、次男信雄によって建立された。性高院は、徳川家康の四男、松平忠吉の菩提寺。松平忠吉は関ケ原の合戦後、清洲城主を務めていたが若くして夭逝。九男の義直が尾張藩の城主を引き継いだ。

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万松寺(織田信秀墓所)
万松寺(織田信秀墓所)

織田信長の父信秀が雲興寺八世・大雲永瑞和尚を開山に迎え名古屋村(現在の中区錦と丸の内2丁目・3丁目あたり)に建立した曹洞宗の寺。信秀の葬儀の日、信長は抹香を仏前に投げつけ「大うつけ」と呼ばれた。慶長15年(1610)名古屋城下建設のため現在地に移転。

白雪稲荷
白雪稲荷

白雪咤枳尼真天(はくせつだきにしんてん)がおまつりしてある。 創建された萬松寺の地に千年も前から住んでいた白狐が白雪様の狐族となってまつられたのが起源といわれている。伝説によれば、萬松寺が一時衰微したとき、このお稲荷さまが御小女郎に化身し、お金を工面し寺の窮状を救ったとのこと。このことから、商売繁盛、家内安全に霊験あらたかで商業を営む人のお参りが多くみられ、別名御小女郎稲荷とも呼ばている。

総見寺(織田信長・信雄墓所)
総見寺(織田信長・信雄墓所)

臨済宗妙心寺派の寺院。織田信長は本能寺の変で亡くなった。信長の次男信雄は、父の霊を弔うため伊勢国大島村にあった安国寺を清洲に移し総見寺と改名して再興した。「清州越し」により慶長15年(1610)名古屋に移転された。門前町とは総見寺門前を意味する。境内には信長公、信雄公の廟がある。

性高院(松平忠吉の菩提寺)
性高院(松平忠吉の菩提寺)

徳川家康の四男、松平忠吉の菩提寺。忠吉は関ケ原の戦いで井伊直政とともに奮戦、その功もあり清洲城主に任じられた。しかし若くして夭逝、清洲越しによって寺号を「性高院」と改め大須に移転された。忠吉には跡継ぎがなく家康の九男義直が初代の名古屋城主となった。

大光院
大光院

松平忠吉が崇敬していた明嶺理察を開山として清洲に創建された。忠吉の急逝後、清洲越しにより名古屋へ移転、忠吉の法名をとり大光院と改名された。明王殿は烏瑟沙摩明王を本尊とし、お線香の煙を手に受けて身体にさすると心身の病、苦痛を快癒すると伝えられている。

阿弥陀寺木像涅槃会
阿弥陀寺木像涅槃会

涅槃会は、釈迦の亡くなった2月15日(陰暦)におこなわれる。頭を北に右わきを下に横たわった釈迦を弟子たちが見守っている。

Video

【Video】大須大道町人まつり

尾張名所図会原本

  • 万松寺

    万松寺

  • 総見寺

    総見寺

現在の写真

  • 万松寺

    万松寺

  • 万松寺前新天地

    万松寺前新天地

  • 織田信秀(信長の父)の墓所

    織田信秀(信長の父)の墓所

  • 織田信秀(信長の父)の墓

    織田信秀(信長の父)の墓

  • 総見寺(織田信長・信雄墓所)

    総見寺(織田信長・信雄墓所)

  • 総見寺(織田信長・信雄墓所)

    総見寺(織田信長・信雄墓所)

  • 大須門前町

    大須門前町

  • 大須門前町

    大須門前町

  • 大光院

    大光院

  • 大光院

    大光院

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