赤門寺 - Network2010

沢井鈴一の「俗名でたどる名古屋の町」西大須

赤門寺

堀川御舟御行列之図. 赤い山門が聖運寺堀川御舟御行列之図。赤い山門が聖運寺高力猿猴庵が描いたとされる『堀川御舟御行列之図』という巻物がある。何千人というおびただしい群衆が、堀川の船遊びを楽しむ聖聡院の一行を、両岸から眺めている図だ。
聖聡院は九代藩主宗睦の養子治行の夫人だ。御船行列が行なわれたのは享和二年(一八〇二)の九月十五日と十月十五日の二日行なわれた。

行列の中で、ひときわはなやかな船が彩鷁丸だ。彩鷁丸の進む東岸に、聖運寺が描かれている。
聖運寺は、堀川に面して建っている。赤い山門が、あざやかに描かれている。聖運寺は赤門寺とも呼ばれていた。この巻物に描かれているように、赤い山門が堀川に面して建っていたからだ。
『尾張志』は、聖運寺を次のように記している。

日置の内、堀川の東岸にありて日秀山と号し安房の小湊村誕生寺の末寺なり。もと車の町にありて真言宗なりしと。寛文六年今の宗に改めてここにうつす。寺伝には僧日真、寛永五年十一月開基して覚林院といひしを、同十一年今の山号をあらため天和三年今の地に移ししよしいへり。
編年大畧に寛永二乙丑年七月廿九日午刻御城下南寺町通御園町伏見町の間、某の家にて瑞龍院君御誕生、此所後に仏院となる。松雲寺と号す。貞享元年申子日置村に移す。今の堀川聖雲寺是なり。
公の御宮参り丸の内天王と若宮と両所へ寛永二乙丑九月二日ならせられしと或古家に書留ありと記せり。

聖運寺奥に色づいたイチョウの木が見える現在の聖運寺。奥に色づいたイチョウの木が見える聖運寺は、日蓮が誕生した千葉県の小湊の誕生寺の末寺である。もともとは、現在、至誠院が建っている車の町にあった。この地は、寛永六年(一六二九)藩祖義直の夫人高原院より頂いた地であった。覚林院日真を開山として、寛永十一年(一六三四)には、覚林院の寺号を日秀山聖雲寺と山号、寺号を改めた。現在の地に移ってきたのは、天和三年(一六八三)である。
『編年大畧』には、二代藩主の光友が、この寺で生まれたと記している。光友の誕生寺という伝説が生まれるほど、この寺と徳川家との関係は深い。本堂は高原院の御廟の拝殿として建立したものという。本尊の木像法華経題目塔や四天王の木像なども、高原院の寄進によるものだ。

戦災を受けて表皮の剥がれたイチョウの木戦災を受けて表皮の剥がれたイチョウの木イチョウの枝から無数の乳がたれ下がっているイチョウの枝から無数の乳がたれ下がっている寺の境内に公孫樹の大木がそびえている。推定樹齢は三百年とも四百年ともいわれている。幹回り四・五メートル、根回り七・四メートル、樹高は二十三メートルもある。無数の乳がたれ下がっている。よく、この木を見てみると樹皮の西側の部分が黒くこげている。昭和二十年の戦火によって、こげたものだ。
焼夷弾をうけて、本堂は燃えあがってしまった。しかし、この公孫樹の大木は、樹皮をこがしながらも盾となりて、聖運寺より東側の地を護った。西大須の地を歩くと今も、閑所や長屋など昔ながらの町が残っている。閑所の中には共同井戸もある。
これらは聖運寺の公孫樹によって戦火をまぬがれ、今も残っているものだ。


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沢井 鈴一(さわい すずいち)
沢井鈴一1940年 愛知県春日井市生まれ。明治大学文学部卒業後、市邨学園高等学校で国語科を教え、2000年3月に定年退職。名古屋市中区、北区等の生涯学習センター講師を務めるかたわら、堀川文化探索隊代表として長年にわたり堀川文化の地を調査・探索し数多の企画展を実現。著書に『浮世絵は愉しい』『伝えたい-ときめきを共有する教育』『堀川端ものがたりの散歩みち』『花の名古屋の碁盤割』『名古屋本町通りものがたり』など多数。

Webサイト:開府400年・名古屋の歴史と文化