浅間通り
浅間通り周辺地図(昭和8年住宅地図)大須観音通りは、かつては浅間通りと呼ばれていた。浅間神社にちなんで付けられた名前であることは言うまでもない。街路灯も神灯式のものが使われていた。
大須は、昼と夜の顔を持っている。昼間は地方から大勢の人が大須の観音様にお参りにくる。浅間通りには、それらの人たちを相手とする店が並んでいた。
浅間通りの北側には二軒の映画館があった。大須演芸場の前身である港座と、洋画と実演の太陽館である。地方から大須に遊びに来た人たちは、これらの映画館に足を運び、そして、食堂や喫茶店に入った。港座から東に一正亭食堂、パーラー資生堂、桔梗屋食堂、上田屋食堂が軒を並べていた。
地方から大須観音に参拝に来る観光客が、大須に来て先ず食べたいと思うものは、家庭では食べることのできないものだ。洋食が人気の的であった。一正亭は、洋食屋として評判の店であった。
桔梗屋は、うどん屋として古い歴史を持つ店で、いつも千客万来の客で賑わっていた。上田屋は肉鍋の店だ。幾十となく並ぶガスコンロが、いつも青い火を吐き大勢の客の来店するのを待っていた。
賑わうのは食堂だけではない。喫茶店も多くの客で賑わっていた。一正亭食堂と桔梗屋食堂に挟まれたパーラー資生堂は洒落た喫茶店で、地方からの客でいつも混雑していた。コーヒーの香りにふれながら、大須の町の賑わいを、交々話している観光客の姿が目立った。資生堂の姉妹店は、鶴舞公園前にもあった。
喫茶森永は、太陽館の東隣にあった。洒落た明るい感じの店で、カツライスも安くて、おいしいと評判であった。
シャポーブラン大須本店の脇にある名古屋三名水の一つの清寿院の柳下水浅間通りには、大衆的な食堂と喫茶店だけではなく、名古屋を代表する料亭八千久があった。大須演芸場の前の駐車場が、かつて八千久があった場所だ。
港座はもともと南桑名町にあった小屋だ。南桑名町では日の出座と呼ばれていたが、浅間神社の社有地に移転してきて、港川神社にちなんで、小屋の名前を港座と改称した。日活の直営館になったり、戦後はストリップ劇場に変わったり、この劇場の変遷もすさまじい。
太陽館は、鶴舞公園で開かれた共進会を契機として開かれた古い映画館だ。後に古川為三郎の経営するところとなり、現在はその跡地がヘラルドの喫茶店となっている。
喫茶店の前には、名古屋三名水の一つの柳下水がある。
柳下水の特質は、その水が柔らかいことであった。この水でたてた茶は香がよく、茶人から殊の外に珍重された。また化粧水にもよいというので、城中からも女中が水を汲みにきたという。