オカラネコ─大直禰子神社
大直禰子(おおたたねこ)神社. 祭神は奈良の三輪にある大神神社に祀られている大直禰子命
長松院の所在地を『尾張志』には「オカラネコにあり」と記している。
また丸田町交差点の南西の角近くには「西 矢場地蔵、おからねこみち」と記した道標が残っている。今では知る人も少ないが、江戸時代には、オカラネコが近郊に知られた神社であったことがわかる。オカラネコが現在の大直禰子(おおたたねこ)神社にと名前が改まったのは、明治四十二年四月のことだ。
『前津旧事誌』は、そのいきさつを次のように記している。
明治半頃まではここは猫の神社なればとて、失踪せる猫の帰来を祈るもの等ありしが、甚しきは死猫の骸をここへ捨てゆくものもありて、近隣の迷惑一方ならざりしとぞ。然るに明治の末年頃に若原敬経、こは奈良にある大直禰子神社を春日三輪の両社と共に遷せるものにして、おからねこは大直禰子の訛れるなりとの新説を唱へ、氏子其他これに同ずるもの多かりしかば、四十二年四月今の名に改め、春日神社の末社として奉斎することとなれり。
大直禰子神社の由来と「この神社は猫を祀った神社ではない」ということわり書きが記された立札この文を読むと、猫を祭った神ではないと躍起になり、神社の名称を変えた様子がよくうかがえる。
奈良にある大神神社に祭られている大直禰子命を迎えたのは、明治四十二年のことである。それ以前に、オカラネコと呼ばれた理由については、『尾張名陽図会』の記述などを参考にして『堀川端 ものがたりの散歩みち』に記述しておいたので参照していただきたい。石橋真酔の『作物志』に描かれているオカラネコを主人公として『堀川端 不思議ばなし』の中では、オカラネコの物語化を試みてみた。
オカラネコのような不思議な話を七つ集めた七不思議が日本の各地に伝わっている。
日本の各地に伝わる七不思議も、もともとはピラミッドやアレクサンドリアの灯台、ヘリオスの巨像など七つの事蹟を集めた『世界七不思議』のように、自分の見たこともない不思議な自然現象、事蹟の七つをとらえて呼んだものである。不思議な自然現象を集めた七不思議から、しだいに人間のおりなすさまざまな不思議話ができてくるようになった。
日本全国津々浦々にさまざまな七不思議が伝えられている。愛知県では、知多半島、新城、三河、熱田神宮、桃太郎神社などに残っている。名古屋の高岳院にも伝わっていたということだ。
前津の地を歩くだけでも、さまざまな不思議話の地をふむことができる。