損はたたねと本重町―鶴重町と本重町 - Network2010

七墓巡礼歌のみち

損はたたねと本重町―鶴重町と本重町

奥に向かって伸びるのが現在の本重町通、左右に伸びる道路が伊勢町通り奥に向かって伸びるのが現在の本重町通、左右に伸びる道路が伊勢町通り
『那古野府城志』は、本重町の町名の由来を、次のように記している。

此町清須に於て新町と号、治工三左衛門といへる者爰に住、斯人伊勢大神宮へ謁する事凡廿三度に及ぶ、一夜夢想に仍て、銘を鶴重と改む、故に鶴重町と云。慶長年中此に移、旧に仍て鶴重町と云。元禄元年戊辰三月、鶴姫君の名を避て元重町と改。治工も亦本重と銘を改、子孫今爰を去る。

治工三左衛門というのは、清須の新町に住んでいた打物鍛冶の丹羽三左衛門。この人は名品の刀を作りたいと二十三度も伊勢神宮に参拝した。伊勢神宮の祭神も感応されて、ある夜三左衛門の夢枕に立って仰った。「今後、お前の打つ刀には鶴重と銘をつけよ。さすれば、お前は名工として厚く遇せられるであろう」
お告げに歓喜した三左衛門は、精魂をこめて鍛えた刀に鶴重と銘を入れるようになった。三左衛門のうつ刀は、名刀としての評価が日に日に高まっていった。
清須越の時、三左衛門も名古屋に移ってきた。三左衛門の刀は、尾州藩の名産に数えられるようになった。
一代の名刀鍛冶、三左衛門にちなんで、町名は旧称の新町を改めて鶴重町と呼ばれることになった。
元禄元年(一六八八)三月、五代将軍綱吉の娘は、鶴姫と名づけられた。将軍の娘と同じ鶴の字を町名に使うのは恐れ多いというので、鶴重町の名前を変更することになった。三左衛門の先祖の法名が「道本」であることから、その本の字を鶴に変えて本重町と呼ばれるようになった。
天保五年(一八三四)、鶴姫も亡くなり、憚りはなくなったので、本重町は旧の鶴重町にと変更された。

本重町は伊勢町筋、練屋町の南にある。町名と同じ東西道路の本重町筋が、堀川東岸の木挽町筋から碁盤割の町中を通り、久屋町まで通じていた。本重町筋は、鶴重町筋とも呼ばれる。
鶴重町から本重町、さらに鶴重町へとの町名変更。町名とは別の筋の名前も、本重町筋とも鶴重町筋とも呼ばれ、両者の関係はややこしい。明治四年(一八七一)には、本町筋、御園町筋間の五丁に本重町が設けられ、鶴重町とは位置、名称とも区別されるようになった。

連載は毎週金曜日更新です!

【新連載】沢井鈴一の「名古屋の町探索紀行」は、毎週金曜日に1話ずつ掲載していきます。

沢井鈴一氏関連情報

『名古屋の街道をゆく』
定価1500円 好評発売中!

『名古屋の街道をゆく』好評発売中!

名古屋の町を形づくってきた東海道・佐屋街道・柳街道・美濃路・上街道・下街道・飯田街道という七つの街道の歴史、成り立ち、歴史的できごと、そして今も古い息吹きが残る街道周辺の文化財を紹介。
読んで興味津々、町歩きの伴侶となるこの一冊によって名古屋の街道を再発見しながら楽しめます。探索用カラー地図付。

■著者=沢井鈴一(堀川文化を伝える会 顧問)
■発行=堀川文化を伝える会
■体裁=A5判並製、カラー口絵付240頁、地図・古写真等多数収録
■価格=1500円
■内容=東海道・佐屋街道・柳街道・美濃路・上街道・下街道・飯田街道 ほか

取扱書店一覧(名古屋市内)
・ ちくさ正文館(広小路通り 千種駅東)
・ 正文館書店本店(東区東片端)
・ 熱田泰文堂(名鉄神宮前駅前 JR熱田駅前)
・ 三松堂書店(上前津交差点南西角)
・ 早川屋書店(大須ふれあい広場前)
・ 岡田書店(北区味鋺)
・ 三洋堂書店いりなか本店
・ 新開橋店(瑞穂区 新堀川沿い)
・ 鳥居松店(国道19号沿い春日井高校東)
・ ジュンク堂 名古屋店  
・ 名古屋ロフト店
・ 丸善 名古屋栄店
・ 三省堂 名古屋高島屋店
・ 中日書店 中日ビル3階
・ ブックショップ「マイタウン」(中村区 新幹線高架下)
・ 鎌倉書房 サカエチカ店

沢井 鈴一(さわい すずいち)
沢井鈴一1940年 愛知県春日井市生まれ。明治大学文学部卒業後、市邨学園高等学校で国語科を教え、2000年3月に定年退職。名古屋市中区、北区等の生涯学習センター講師を務めるかたわら、堀川文化探索隊代表として長年にわたり堀川文化の地を調査・探索し数多の企画展を実現。著書に『浮世絵は愉しい』『伝えたい-ときめきを共有する教育』『堀川端ものがたりの散歩みち』『花の名古屋の碁盤割』『名古屋本町通りものがたり』など多数。

Webサイト:開府400年・名古屋の歴史と文化