沢井鈴一の「名古屋の町探索紀行」
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2013年5月24日
沢井鈴一の「名古屋の町探索紀行」第14講 大我麻・喜惣治 第10回「災害は忘れぬうちにやってくる──新川洗堰改修碑」
国道四十一号線の新川中橋から右へ曲がると洗堰だ。道はいちだんと低くなっている。庄内川をあふれた水が、新川に流れこむような仕掛けになっている。 堤防の上に一つの碑が建っている。明治十六年の九月に建てられた新川洗堰改修碑だ。碑文...
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2013年5月17日
沢井鈴一の「名古屋の町探索紀行」第14講 大我麻・喜惣治 第9回「上流を見つめる除災地蔵尊──新川と洗堰」
国道四一号の庄内川に架かる新川中橋に立つと、西には養老山地が、東には瀬戸方面の山々が霞んで見えている。河原にはゴルフ場があり、大都会の一隅とは思えないのどかで穏やかな風景である。 このあたりでは、庄内川と矢田川は平行して流れ...
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2013年5月10日
沢井鈴一の「名古屋の町探索紀行」第14講 大我麻・喜惣治 第8回「桜並木──新川堤防改築記念碑」
龍神社の傍らの石段を上ってゆく。石段には公孫樹の葉が一面に散っている。 堤防は桜並木だ。昭和三十年、対岸の喜惣治の堤防に、楠町が名古屋市と合併したのを記念して、六百数十本の桜の木が植樹された。比良の堤防にも、喜惣治の堤防にあ...
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2013年5月3日
沢井鈴一の「名古屋の町探索紀行」第14講 大我麻・喜惣治 第7回「季節はずれのかきつばた──蛇池公園」
鬱蒼とした森の中に、一本の細い道が続いている。道の奥には天神社が祀られている。 「昼でも薄暗い、気持ちの悪い道だった。恐いものだから、あの森には子どもたちは誰も近付かなかったなあ。今の高架の下の辺に森はあったよ。」 古...
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2013年4月26日
沢井鈴一の「名古屋の町探索紀行」第14講 大我麻・喜惣治 第6回「歯痛の観音さま──喜惣治観音」
喜惣治を歩いていて、一人の老人と知りあった。最初に出会ったのは、神明社の南側にある天王社だ。祠の前に立って熱心に祈っていらっしゃる。どういう神様を祀った祠であるかを尋ねたのが、知り合うきっかけであった。まず、丁寧な言葉づかいに感心...
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2013年4月19日
沢井鈴一の「名古屋の町探索紀行」第14講 大我麻・喜惣治 第5回「公孫樹ちる──喜惣治神明社」
公孫樹の葉が陽光にきらめきながらゆっくりと落ちてゆく。それは、残されたわずかな時を惜しむかのようにゆっくりとした散りかたであった。一晩木枯らしが吹き荒れたら公孫樹はまちがいなく裸木になってしまうだろう。今日は、裸木になっているか、...
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2013年4月12日
沢井鈴一の「名古屋の町探索紀行」第14講 大我麻・喜惣治 第4回「生命をかけた水あらそい──久田良木樋門」
大我麻神社の北側に広大な北部市場がある。北部市場の西側には、久田良木川が流れている。大我麻神社を出て、北部市場に向かう。樋門(ひもん)に出る。樋門から流れ出た久田良木の細い流れは大山川と合流している。久田良木川の北は豊山町、大山川...
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2013年4月5日
沢井鈴一の「名古屋の町探索紀行」第14講 大我麻・喜惣治 第3回「水神の祟り──大我麻神社」
古老が往来をみつめながら、ぽつりとつぶやいた。 「大蒲がこんなに人家が建って発展するとは、夢にも思っていなかった。」 喫茶店の前は国道四十一号線である。ひっきりなしに車が通ってゆく。高架の上からも車の騒音が聞こえてくる...
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2013年3月29日
沢井鈴一の「名古屋の町探索紀行」第14講 大我麻・喜惣治 第2回「水との凄絶な闘い──大蒲池と新田開拓」
今から六百年ほど前までは、大蒲、喜惣治一帯は、葦や蒲の茂る湿地帯であった。 いったん豪雨があると、大山川、合瀬川、境川が増水し、庄内川が氾濫した。水は、師勝、比良、大野木以西へ流れ込みしばしば大きな被害をもたらしたのである。 ...
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2013年3月22日
沢井鈴一の「名古屋の町探索紀行」第14講 大我麻・喜惣治 第1回「寺のない町──妙見堂」
喫茶店の窓から外をぼんやり眺めていた。ひどく疲れていた。喜惣治橋を渡り、蛇池公園に行き、その帰りに妙見堂を探して歩きまわっているうちに疲れてしまったのだ。 「妙見堂には、どう行ったらいいの」 珈琲を運んできた店の人に聞...