沢井鈴一の「名古屋の町探索紀行」
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2012年8月17日
沢井鈴一の「名古屋の町探索紀行」第10講 下街道大曽根界隈 第1回「中央線大曽根駅」
明治三十三年(一九〇〇)中央線の多治見と名古屋間が開通した。それと同時に大曽根駅設置の運動が起こってきた。国鉄では大曽根駅を設置するにあたり、瀬戸と大曽根間に民間による鉄道設置を条件として出してきた。 明治三十八年(一九〇五...
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2012年8月10日
沢井鈴一の「名古屋の町探索紀行」第9講 下街道の山田庄 第6回「長母寺」
山田重忠は、父母と兄を供養するために三つの寺を守山に建てた。 治承三年(一一七九)母親を供養するために創建した寺が長母寺である。父親のために建てた寺は長父寺で、現在は名前を変えて大永寺となっている。兄のために建てた寺の長兄寺...
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2012年8月3日
沢井鈴一の「名古屋の町探索紀行」第9講 下街道の山田庄 第5回「矢田川」
矢田川の花火といえば、夏の風物詩として知られている。毎年、おおぜいの人が矢田川で空高くあがる花火を見て興じている。 『金鱗九十九之塵』に、矢田川の花火の記述がみられる。 大杁水車 街道より北江這入所にあり 此所毎も夏...
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2012年7月27日
沢井鈴一の「名古屋の町探索紀行」第9講 下街道の山田庄 第4回「廣福禅寺」
広福禅寺の経営する山田幼稚園が国道十九号に面して建っている。幼稚園の正門前には「山田重忠旧里」の碑が、園庭には「贈正五位山田重忠朝臣之碑」がある。山田重忠は承久の乱(一二二一)に後鳥羽上皇について、北条義時の軍と戦った人。美濃の国...
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2012年7月20日
沢井鈴一の「名古屋の町探索紀行」第9講 下街道の山田庄 第3回「常光院」
山田天満宮に隣接し、北側にある寺が常光院である。元和年間(一六一五~一六四二)、宥賢和尚が、長久寺の念仏堂として結んだ寺である。たび重なる洪水に苦しむ村人たちの信仰によって、支えられてきた真言宗智山派の寺である。境内には、そんな地...
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2012年7月13日
沢井鈴一の「名古屋の町探索紀行」第9講 下街道の山田庄 第2回「金神社」
山田天満宮の境内社として金神社が祀られている。金神社は延享三年(一七四六)の創建で、祭神は「岐神」「金山彦神」「大国主神」。神社には、金神社の名前にちなんでか、お金を洗うことができるようになっている。お金を洗うと金銭に不自由をしな...
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2012年7月6日
沢井鈴一の「名古屋の町探索紀行」第9講 下街道の山田庄 第1回「山田天満宮」
千種区の上野天満宮、中区の桜天神社とともに、受験シーズンともなると合格祈願の受験生の姿が狭い境内の中に多くみられる。 東風吹かば匂おこせよ梅の花 あるじなしとて春な忘れそ 配流の地・太宰府で、都をしのんで詠んだ菅原道...
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2012年6月29日
沢井鈴一の「名古屋の町探索紀行」第8講 志賀の里 第10回「六所社」
北区内には、六所社が下飯田、上飯田、安井町、金城町にある。いずれも祭神はイザナギ、イザナミ、天照大神、スサノオノ尊、月夜見尊、蛭子の六柱。 イザナギはわが国土や神々を生み、山海や草木を掌った男神。イザナミはイザナギノミコトの...
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2012年6月22日
沢井鈴一の「名古屋の町探索紀行」第8講 志賀の里 第9回「光音寺」
黄雲山光音寺は曹洞宗の古寺である。江戸時代は大須の万松寺の末寺であったと伝えられている。庭の中に名古屋市の指定文化財である無縫塔がある。歴代住職の墓塔である。細長い塔身は鎌倉時代の作で、やや不均整な印象を与える。中台は小型で厚みが...
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2012年6月15日
沢井鈴一の「名古屋の町探索紀行」第8講 志賀の里 第8回「揚り戸古墓地」
尾州山田庄志賀郷と記されている安栄寺の六地蔵は、もともとはこの揚り戸の古墓地に昭和の初期まであったものである。揚り戸とは、小船などによって、物資を積みおろしする地のことである。志賀公園の東一帯は、かつて揚り戸と呼ばれ、船から荷揚げ...