沢井鈴一の「名古屋の町探索紀行」
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2014年5月9日
沢井鈴一の「名古屋の町探索紀行」第20講 杉村界隈 第6回「祖父薬師 円満寺」
円満寺は国道一九号を春日井の方にむかい長い坂をくだり、瀬戸電を通り越した左側にある。 車で走ってゆくと、 寺は中京銀行の陰に隠れ、屋根がかすかに見えるにすぎない。この寺の近くで育った幼なじみの二人が心中をするという『たったひ...
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2014年5月2日
沢井鈴一の「名古屋の町探索紀行」第20講 杉村界隈 第5回「大衆演劇の殿堂 鈴蘭南座」
「座長!」「一平ちゃん!」。威勢の良い声がかかる。涙をぬぐっているお婆さんが何人もいる。舞台は、股旅物の人情劇、子別れのシーンだ。役者も観客もここぞとばかりカが入る。 鈴蘭南座は大衆演劇専門の劇場だ。名古屋では二か所、全国で...
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2014年4月25日
沢井鈴一の「名古屋の町探索紀行」第20講 杉村界隈 第4回「料亭の文化 十州楼」
大曽根の料亭、十州楼の歴史を綴った『十州楼のあゆみ』を手にしていた時だ。なつかしい顔が載っている。先代の女将道家晶子さんだ。『十州楼のあゆみ』は、晶子さんが亡くなった時、その遺品の中から直筆原稿の「私の知って いる十州楼の歴史」な...
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2014年4月18日
沢井鈴一の「名古屋の町探索紀行」第20講 杉村界隈 第3回「かれは是れ吾れにあらず 普光寺」
明暮れに うつ鐘の音も聞ずして 又も日暮るる浮世なりけり 杉村八景の一つ、普光の晩鐘を詠んだ歌である。普光寺の晩鐘の音色のすばらしさは、古くから知られていた。その普光寺の鐘を鋳る時に、ある人が、 ふめたたらやれふめたた...
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2014年4月11日
沢井鈴一の「名古屋の町探索紀行」第20講 杉村界隈 第2回「西行橋 杉ノ宮神社」
ふりつもる 雪の小夜風寒くして 人も音せぬ宮の松ケ枝 杉村八景の一つ、八幡暮雪の大日の森を詠んだ歌である。 杉村の里、修蒼と茂る大日の森の中に八幡社が鎮座していた。現在の清水小学校の地にあった八幡社が、寛永七年(一六三...
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2014年4月4日
沢井鈴一の「名古屋の町探索紀行」第20講 杉村界隈 第1回「古い家並みの残る城東町一帯」
城東町から長田町にかけては古い町並みが残っている。戦災とその後の復興事業で昔の町の姿がほとんど失われた名古屋では貴重な風景である。 このあたりは明治まで農村地帯であったが、大正一元年(一九二乙から城東耕地整理組合によって都市...
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2014年3月28日
沢井鈴一の「名古屋の町探索紀行」第19講 御用水跡街園 第9回「志賀の源吉──安栄寺」
墓場の片すみに立っている六地蔵をよくみかける。仏教の考え方では、人間は死ぬと六道のいずれかに、生前の行いによって、ゆくのだそうだ。生前に悪い行いをした人は、地獄におちてゆく。やせ細り、のどが針のあなのようで、飲食することのできない...
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2014年3月21日
沢井鈴一の「名古屋の町探索紀行」第19講 御用水跡街園 第8回「子どもの守神──児子宮」
北生涯学習センターの北の道を東にむかって歩いてゆく。通りをはさんで小さな祠が南側と北側の地に立っている。祠の中には、お地蔵さまがまつってある。北側の駐車場の脇にまつられているお地蔵さまは、駐車場の持主の方が三代にわたり守りをしてい...
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2014年3月14日
沢井鈴一の「名古屋の町探索紀行」第19講 御用水跡街園 第7回「『ざーざー橋』の位置が変わった──昭和の改修」
猿投橋で黒川はザーザーと音をたてて流れ落ちている。川底が三メートルほどの段差になっているからだ。段差の下では、大きな鯉がいつも群れている。 犬山から名古屋へ行き来していた舟は、この落差をどうやって上り下りしていたのだろうかと不思議...
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2014年3月7日
沢井鈴一の「名古屋の町探索紀行」第19講 御用水跡街園 第6回「べか舟が運んだ人と物──黒川船着場」
北清水橋から堀川を見おろすと、護岸にはサツキが植えられ、川沿いに散策路があって、橋の近くは広場になっている。人工の滝が落ち、花や水生植物が植えられ、昔の常夜灯のようなものも設けられている。ここは、かつて黒川の船着場だったところだ。