沢井鈴一の「名古屋の町探索紀行」
-
2011年4月15日
沢井鈴一の「名古屋の町探索紀行」第2講 前津七不思議めぐり 第3回「蜘蛛の糸─福恩寺」
明治二十一年、大正七年、昭和二十一年、平成十二年と四枚の地図を机の上に置いて、前津一帯の変遷を調べている。 明治二十一年の地図を見てみると、前津台地の東は田畑ばかりの田園地帯が続いている。大正七年になると上前津から鶴舞公園にと岩井...
-
2011年4月8日
沢井鈴一の「名古屋の町探索紀行」第2講 前津七不思議めぐり 第2回「天狗囃子─長松院」
新堀川に架かる記念橋の傍らに、曹洞宗の古刹、長松院がひっそりと建っている。ビルの壁にへばりつくようにして、聳えている何本ものメタセコイアが何か痛ましい感じがする 長松院は、もともとは春日神社の東隣の地にあったが、大津町通りが開修さ...
-
2011年4月1日
沢井鈴一の「名古屋の町探索紀行」第2講 前津七不思議めぐり 第1回「オカラネコ─大直禰子神社」
長松院の所在地を『尾張志』には「オカラネコにあり」と記している。 また丸田町交差点の南西の角近くには「西 矢場地蔵、おからねこみち」と記した道標が残っている。今では知る人も少ないが、江戸時代には、オカラネコが近郊に知られた神社であ...
-
2011年3月25日
沢井鈴一の「名古屋の町探索紀行」第1講 古渡七塚めぐり 第7回「山伏塚」
榊の森、鶯の森と呼ばれていた金山の白山神社 『那古野府城志』には、山伏塚を次のように記している。 昔、刑罰に逢し跡の印となん。町家と畠の境に小さき塚あり。印に榎一本残れり。或時主じかしこそたち、爰を切、塚を縮めける夜、...
-
2011年3月18日
沢井鈴一の「名古屋の町探索紀行」第1講 古渡七塚めぐり 第6回「鎧塚」
榎木白龍大神に、文が欠落していて、何が書いてあるのか判読に苦しむ石碑がある。判読に苦しむというより、判読できない石碑と言った方が正しいであろう。 『追遠報本』といわれる石碑である。欠けている部分を補った冒頭の部分は、次の通りである...
-
2011年3月11日
沢井鈴一の「名古屋の町探索紀行」第1講 古渡七塚めぐり 第5回「義次塚」
鬼頭氏の祖先の由来を示す記述が『金鱗九十九之塵(こんりんつくものちり)』に載っている。 古しへ織田信秀の国司たりし頃かとよ。此所に鬼頭宗左衛門と云う者在住し、今も猶其末葉当村にありとぞ。且此鬼頭氏の祖の来由を尋るに、鎮西八郎...
-
2011年3月4日
沢井鈴一の「名古屋の町探索紀行」第1講 古渡七塚めぐり 第4回「為朝塚」
英雄の死は、誰しも信じたくはない。英雄は不死鳥だ。英雄の末期が悲惨であればあるほど、人々は英雄の生命が不滅であることを願う。平泉で討ち死にした義経は、実は生き残って蝦夷の地に渡ったという伝説が残っている。 あるいは、義経は蒙...
-
2011年2月25日
沢井鈴一の「名古屋の町探索紀行」第1講 古渡七塚めぐり 第3回「金塚」
「金は天下の回り持ち」という格言がある。金銭は一人の所にとどまってはいない。貧しいものも、いつか金銭に恵まれるという意だが、私のような年中貧乏なものはその実感を味わったことは一度もない。とかく「金が敵」の世の中である。 金を手に入...
-
2011年2月18日
沢井鈴一の「名古屋の町探索紀行」第1講 古渡七塚めぐり 第2回「片葉塚」
全国各地に伝わっている七不思議の中で、最も頻繁に登場するのは片葉の葦であろう。遠野、塩原、越後、上越、奈良田(山梨)、遠州、東京の本所深川と数えあげれば際限がないほど、各地の七不思議の中に、片葉の葦は入っている。 愛知県では...
-
2011年2月11日
沢井鈴一の「名古屋の町探索紀行」第1講 古渡七塚めぐり 第1回「鎌塚」
『那古屋府城志』には、義次塚、為朝塚、山伏塚、鎧塚、力子塚(金塚)、片葉塚、鎌塚を古渡七塚としてあげている。 『俳諧古渡集』は、古渡七塚を次のように説明している。 惣して此むらに、七塚有といひ伝へたり、為朝塚、山ふし塚、よろ...