沢井鈴一の「名古屋の町探索紀行」
-
2013年12月20日
沢井鈴一の「名古屋の町探索紀行」第18講 三階橋より水分橋 第4回「ほとけの誓いおもき石山──石山寺」
色あざやかな、つつじが咲き乱れている。石山寺の山門をくぐると庭は、別世界のようにはなやかだ。突然、烏がけたたましたく鳴き出した。静寂な境内に、鳴き声が不気味にひびきわたる。何羽もの烏が、いっせいに鳴きたてる。不意の侵入者に、犬が大...
-
2013年12月13日
沢井鈴一の「名古屋の町探索紀行」第18講 三階橋より水分橋 第3回「天神さまお神酒に酔う──高牟神社」
矢田川の堤防の上に幟り立が建っている。祭の時には、この幟り立に高い竿が立てられ、幟りが風になびいてはためく。堤防の上を何台もの車が走ってゆく。この幟り立に気づいて、車を運転している人は誰もいないであろう。 堤防の下、森の中に...
-
2013年12月6日
沢井鈴一の「名古屋の町探索紀行」第18講 三階橋より水分橋 第2回「白沢川・御用水──何度も姿が変わった古川」
三階橋の北東に守西ポンプ所がある。庄内用水(堀川)の上に建つ、小さなポンプ所だ。このポンプ所へ古川が流れ込んでいる。牛牧(小幡緑地付近)あたりから流れ出し、新守山駅の南を通り、ここまできている。国道一九号より上流は石張りの護岸など...
-
2013年11月29日
沢井鈴一の「名古屋の町探索紀行」第18講 三階橋より水分橋 第1回「五千人の農民橋に集まる──三階橋」
黒川治愿を顕彰する碑が春日井市内に四基建立されている。もっとも名文で書かれた碑文は中央公園の南、神明社に建っているものだ。 碑文は、次のように始まっている。 古人云、排百難而萬利生。吾嘗聞之。今見之。如愛知縣東春日井郡上條新...
-
2013年11月22日
沢井鈴一の「名古屋の町探索紀行」第17講 黒川治愿の足跡をたずねて 第9回「サイフォン──地蔵川」
中央線を汽車に乗って、名古屋の中学校に通っていた頃の話だ。汽車は、ゆるやかなスピードで走ってゆく。地蔵川に列車が通りかかると異様な臭いが車内にたちこめてくる。今でも、その悪臭を思い出す程だから、そうとう強い臭いであった。 小...
-
2013年11月15日
沢井鈴一の「名古屋の町探索紀行」第17講 黒川治愿の足跡をたずねて 第8回「黒川治愿遺沢之碑──御幸橋」
八田川に架かる御幸橋の傍の堤防上に黒川治愿の碑が建っている。碑には明治四十二年十二月、子息の黒川耕作の手によって記された文が刻まれている。碑文の書き出しは、 勝川字新開之地数十町荒野薄田不レ耕者年久矣。 と始まっている...
-
2013年11月8日
沢井鈴一の「名古屋の町探索紀行」第17講 黒川治愿の足跡をたずねて 第7回「画の如し八田川──十五丁橋」
木津用水は朝宮公園で八田川と合流し、庄内川に注いでいる。今は細い水の流れだが、かつては、この川に犬山から名古屋まで船が通じていた。 鈴木寿三郎は味鋺原八景のなかで、「八田川曳船」という題で五言絶句を詠んでいる。 一水通...
-
2013年11月1日
沢井鈴一の「名古屋の町探索紀行」第17講 黒川治愿の足跡をたずねて 第6回「ハニワ道──二子山古墳」
二子山公園には、三つの古墳が点在している。 公園の北側にあり、墳頂に白山神社が鎮座しているのが白山神社古墳。主軸長八四メートル、後円部の高さ約七メートル。周りに濠がめぐらされている。 公園の西側にある古墳が御旅所古墳。古墳墳...
-
2013年10月25日
沢井鈴一の「名古屋の町探索紀行」第17講 黒川治愿の足跡をたずねて 第5回「日輪寺晩鐘──日輪寺」
大正十年、東春日井郡長となった鈴木寿三郎は漢詩を作ることが得意であった。彼に味鋺原八景を詠んだ五言絶句がある。八景の中の一つ、日輪寺晩鐘は次のような句だ。 亭々日輪寺 庭樹帯レ雲重 斜照将二西落一 殷々鳴二梵鐘一 ...
-
2013年10月18日
沢井鈴一の「名古屋の町探索紀行」第17講 黒川治愿の足跡をたずねて 第4回「古墳の中の社──白山神社」
白山神社は古墳の中に鎮座している。白山神社古墳の近くには二子山古墳、お旅所古墳、春日山古墳などがあり、いずれの古墳も、この地を支配していた豪族の墓と推定されている。 白山神社は、もともとは味鋺村の白山薮古墳にあったが、万治二...