沢井鈴一の「名古屋の町探索紀行」
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2014年2月28日
沢井鈴一の「名古屋の町探索紀行」第19講 御用水跡街園 第5回「御用水・黒川を錦に彩る──染色工業地帯」
名古屋は全国有数の繊維産業が盛んな地域であり、とりわけ北区には多くの紡績・織物工場があった。織物にはさまざまな色や模様をつける。染めた糸を織ったり、織りあがった布を染めたりして色や模様をつくりだす。染色は実用品としての布を、使う人...
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2014年2月21日
沢井鈴一の「名古屋の町探索紀行」第19講 御用水跡街園 第4回「『彩紅紅雲』清流に花ともみじ──大幸川」
今では姿を消した川、大幸川。かつて北区の用水や排水につかわれ、今の黒川(堀川)の一部にもなった川である。 はるか昔、庄内川や矢田川は上流から土砂を運んできて下流部で堆積し、海であった所が少しずつ陸地になっていった。川岸には自...
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2014年2月14日
沢井鈴一の「名古屋の町探索紀行」第19講 御用水跡街園 第3回「乗合馬車が走る黒川岸──犬山街道」
黒川東岸の御用水跡街園は散策路として親しまれ、散歩やジョギングを楽しむ人の姿が多い。対岸は車も通ることができる道だが、桜の季節以外には人も車も少ない静かな裏道だ。車は平行している辻本通を走りぬけ、都心や春日井へと向っている。この静...
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2014年2月7日
沢井鈴一の「名古屋の町探索紀行」第19講 御用水跡街園 第2回「お堀や巾下水道へ水を──御用水跡街園」
堀川(黒川)に沿って夫婦橋から猿投橋まで、御用水跡街園が続いている。 このあたりの堀川は、市内ではめずらしい草生えの土手が残り、小魚をねらってコサギなどの鳥が集まり、時には「清流の宝石」カワセミの姿も見かける。さながらふるさとの...
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2014年1月31日
沢井鈴一の「名古屋の町探索紀行」第19講 御用水跡街園 第1回「マダム貞奴──川上絹布跡」
過ぎし昔の夢なれや 工女工女と一口に とかく世間のさげすみを うけて口惜しき身なりしが 文化進める大御代の 恵みの風に大道を なみせる古き習しや 思想を漸く吹き払い この歌は、川上貞(芸名・貞奴)が大正七年(一...
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2014年1月24日
沢井鈴一の「名古屋の町探索紀行」第18講 三階橋より水分橋 第9回「黒川に水を分ける橋──水分橋」
明治九年、黒川が掘削されると、その掘り上げられた土でもって犬山街道が造られた。街道に橋が架けられたのは明治十一年の四月。鉄筋コンクリートの橋になったのは昭和十八年の十一月のことだ。橋の長さは二百五メートル、幅は十一メートルである。...
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2014年1月17日
沢井鈴一の「名古屋の町探索紀行」第18講 三階橋より水分橋 第8回「舟が通った庄内用水──元杁樋門」
北区の楠と守山区を結んで、水分橋がかかっている。水を分ける橋‥‥ずいぶん変わった名前である。橋のすぐ上流には、ダムのような物がある。市内ではここにしかない珍しいものだ。 橋の北では八田川が庄内川に流れ込んでいる。南では堤防に...
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2014年1月10日
沢井鈴一の「名古屋の町探索紀行」第18講 三階橋より水分橋 第7回「一粒でも多くの米を──巨大井戸の掘削」
庄内用水元杁樋門のすぐ下流に、巨大な井戸がある。井戸の直径は六メートル、井筒の高さは三メートルというジャンボサイズだ。たぶん、名古屋で一番大きな井戸ではないだろうか。所々コンクリートの表面がはがれて中の鉄筋が赤錆びた姿をのぞかせ、...
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2014年1月3日
沢井鈴一の「名古屋の町探索紀行」第18講 三階橋より水分橋 第6回「輪中の里──栄橋」
三階橋を渡り、矢田川の堤防を東に歩いて行く。小さな祠が祀ってある。疫病から人々を護るという天王社の祠だ。矢田川の堤防上には、信号がないから車がひっきりなしに往来している。車道の際にある祠に、わざわざ危険を冒して参りに来る人はいない...
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2013年12月27日
沢井鈴一の「名古屋の町探索紀行」第18講 三階橋より水分橋 第5回「石山寺道──下街道」
石山寺の東の細い道を北に歩いてゆく。寺のコンクリート塀の北側に新しい道ができている。この広い道は、寺の裏で行き止まりになっている。 塀に面して小さな石柱が立っている。標識のようだ。字が摩滅していて、よく読めない。少し距離を置いて標...