大衆演劇の殿堂 鈴蘭南座
「座長!」「一平ちゃん!」。威勢の良い声がかかる。涙をぬぐっているお婆さんが何人もいる。舞台は、股旅物の人情劇、子別れのシーンだ。役者も観客もここぞとばかりカが入る。
鈴蘭南座は大衆演劇専門の劇場だ。名古屋では二か所、全国でも二十か所くらいしかないという。テレピが普及するまでの楽しみは、映画と演劇。ちょっとした盛り場には必ず映画館や劇場があった。
鈴蘭南座ができたのは昭和二十九年(一九五四)。かつて大曽根には劇場や映画館があったが、今はここだけになってしまった。南座も、パンドの演奏や一般劇に貸していた時代もあったが、今は大衆演劇専門の劇場として復活している。
入口を入ると小さなロピーがある。なじみ客が数人集まってひいきの役者や芝居の批評をしている。
「OOちゃんは、きいきん一皮むけていい芝居をするようになった」
「OOちゃんの女形は色気があってすばらしい」
「OOちゃんもいいが、先月の口口一座のOOちゃんのほうが芝居もうまいし、道であっても気さくに挨拶してくれる」
出演する劇団は全国を巡業する旅の一座。公演中は楽屋に泊まりこみ、近所の人たちとは顔なじみなのだ。
客席は、今ではほとんど見られなくなった畳敷きになっている。お客さんは入口で座布団を借りて、おもいおもい の場所に座っている。大劇場のように取り澄ましたところがない。観客は自分で持ってきたおにぎりやみかんを食べたり、売店のおでんとピールで一杯やっている。芸術を鑑賞するなどといった堅ぐるしいものではなく、芝居と歌と踊りを楽しむためにきているのだ。六十畳くらいの客席が八割ほど埋まり、壁には「盛況御礼」の札がかかっている。年配の客が多いが、三十代とおぼしき人も数人混じっている。
幕があくと、歌と踊りのミニショーが始まる。舞台は目の前、オペラグラスなどなくても、役者の目の動き指の動きまでしっかりと見える。小休憩をはさんでお芝居。狭い舞台を大きく使って芝居の世界に観客を引き込んでいく。 一座の子どもだろうか、幼稚園ぐらいの子も出演している。かわいくリアルな演技は客を引き寄せ「かわいい』の声がとび、おとなの役者が食われている。アドリブも交えて目の前でおこなわれる芝居は、大劇場では味わえない役者と客が一体になった独特の世界である。最後は歌謡・舞踊ショーが華やかにくり広げられ、何人かの客がひいきの役者にご祝儀を渡している。
公演が終わると、戸口で座員全員が並んで見送る『送り出し」のなか、客は帰ってゆく。役者と客はここでも声をかけ話しをしている。なかには、毎日のようにくる客もいるという。大劇場と違い演目は日替わりだ。とことん、客を楽しませる趣向である。 大衆演劇がテレビで放映されることはない。役者と客が一体になって創りあげる世界は、テレピでは伝えきれない濃密なものだからであろう。
かつては村々を旅役者が回って歩いたという。名古屋でも常設の芝居小屋や神社などに作られた仮小屋で芝居興行が行われていた。時代とともに公演の内容は変わっても、役者と客が一体になって創りだし楽しむ大衆芸能の本質は変わっていない。日本の伝統芸能として高尚な舞台芸術になっている歌舞伎も、出雲の阿国が鴨川で始めたころは大衆芸能であった。鈴蘭南座には芸能の原点が今も息づいている。大劇場とともに大衆演劇が興行される劇場があることは、名古屋文化の裾野の広さを表している。まさに「名古屋は芸どころ」である。
地図
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