古い家並みの残る城東町一帯
城東町から長田町にかけては古い町並みが残っている。戦災とその後の復興事業で昔の町の姿がほとんど失われた名古屋では貴重な風景である。
このあたりは明治まで農村地帯であったが、大正一元年(一九二乙から城東耕地整理組合によって都市化にむけた整備が始まった。曲がりくねった道や川を直線にし、新しい道路で区画割りを行い、住宅地や工業用地として使いやすい街づくりが行われ、昭和六年(一九三一)にほぼ完了した。幸い第二次世界大戦で焼け残ったが、そのため戦災 復興事業の区域に合まれず、かつての街並みがそのまま残されてきた。
耕地整理をしているので碁盤割りの直線的な道になってはいるが、大正初期の時代を反映して南北の道は自動車も入れないような細い道である。沿道には、戦災をまぬがれた戦前からの家があちらこちらに見られる。年月をへて古びてはいるが、落ち着いたたたずまいである。伝統的な木造軸組み構造で土壁を塗った家はずいぶん長持ちする。二十~三十年で建て替えられる新建材を使った最近の家と違い、年とともに味と風格が出てくるものだ。庶民が長年積み重ねた生活がしっかり染込んだ建物と街並みである。
かつて、この付近には、城東園と呼ばれる特殊飲食街があった。もとは瀬戸線の森下から大曽根にかけての線路際に密集していたのを昭和八年ころに移転してできたものである。一時期はずいぶんにぎやかであった。名古屋の多くの街は戦災で一時に変わったが、この地域は昔の姿を残しながら少しずつ変わってきている。古い家 も徐々に建て替えがすすみ、街並みも姿を変えつつある。これからどのような街になってゆくのであろうか。
地図
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