沢井鈴一の「名古屋の町探索紀行」
-
2012年1月20日
沢井鈴一の「名古屋の町探索紀行」第6講 稲置街道から御成道へ 第1回「粟稗の貧しくもあらず―解脱寺」
名古屋の都心、栄町に白林寺という臨済宗の閑静なたたづまいの寺がある。犬山城主成瀬家代々の菩提所である。 江戸時代、この白林寺の二代目住職全用和尚と成瀬家二代目当主の正虎との間で悶着が起こるという出来事があった。成瀬家で不祥事...
-
2012年1月13日
沢井鈴一の「名古屋の町探索紀行」第5講 干支の神様『羊神社』とその界隈 第10回「夫婦橋 辻地蔵」
大正時代の始めの話です。 楠村の百姓利兵衛は、大八車に野菜をいっぱい乗せて、今日も朝早く家を出ました。朝もやがたちこめています。 「しの、さあでかけるぞ」女房のしのに利兵衛は声をかけて、車をひき始めました。車のあとをしのがお...
-
2012年1月6日
沢井鈴一の「名古屋の町探索紀行」第5講 干支の神様『羊神社』とその界隈 第9回「干支の神様 羊神社」
十二年に一度だけ大勢の初詣客を集める神社があります。辻町にある羊神社です。 ふだんはひと気のない狭い神社に、人があふれるのは羊神社という珍しい名前からでしょう。 なぜ、羊神社という名前がついたのか。 天保十二年の辻村村絵図を...
-
2011年12月30日
沢井鈴一の「名古屋の町探索紀行」第5講 干支の神様『羊神社』とその界隈 第8回「秀吉の影武者 腕塚」
天正十年(一五八二)六月元日、豊臣秀吉は、織田信長が本能寺で明智光秀に討たれたの報を手に入れ、備中(びっちゅう)高松から陣をといて、姫路城に帰着しました。 十三日には四万人の軍隊で、光秀が陣をひく、山崎に向かって光秀の軍を攻めたて...
-
2011年12月23日
沢井鈴一の「名古屋の町探索紀行」第5講 干支の神様 第7回『羊神社』とその界隈「神功皇后の石」
日本最古の歴史書である『古事記』に載っている二つの伝説の地が堀川端にあります。倭建命の白鳥伝説の地は熱田区に、神功皇后の新羅遠征の伝説の地は北区にあります。神功皇后の伝説が残っているのは、北区安井町の別小江(わけおえ)神社です。神...
-
2011年12月16日
沢井鈴一の「名古屋の町探索紀行」第5講 干支の神様『羊神社』とその界隈 第6回「わが子の帰り待つ 日待地蔵」
母親は大ぜいの人に、五目飯を茶わんにいっぱい盛ってくばり始めました。十四歳になったばかりの兼継は、緊張して顔をまっ赤にしながら、五目飯を食べています。兼継のかたわらで、にこにこ笑いながら夫の重継は、わが子の顔をながめています。大ぜ...
-
2011年12月9日
沢井鈴一の「名古屋の町探索紀行」第5講 干支の神様『羊神社』とその界隈 第5回「三つの神社のある丘 白龍神社」
赤い鳥居が何本も建っています。鳥居をくぐりぬけるとお福稲荷(いなり)があります。戦争前には大勢の参拝客を集めていたという神社です。 お福稲荷の下の道を、さらに奥に進んでいくと、ほら穴があり、そこにもお稲荷さんが祭ってありました。...
-
2011年12月2日
沢井鈴一の「名古屋の町探索紀行」第5講 干支の神様『羊神社』とその界隈 第4回「志賀の源吉」
東志賀村の百姓、源吉は今日も川にきて石を探しています。 石はさまざまな表情をしています。丸い石、四角い石、長い石、かたちだけでもいろいろな種類があります。青い石、赤い石、白い石、色もさまざまな種類があります。 源吉は、気に入っ...
-
2011年11月25日
沢井鈴一の「名古屋の町探索紀行」第5講 干支の神様『羊神社』とその界隈 第3回「安栄寺の六地蔵」
墓場の片すみに立っている六地蔵をよくみかけます。 仏教の考え方では、人間は死ぬと六道(ろくどう)のいずれかに、生前の行いによって、行くのだそうです。生きている時、悪い行ないをした人は、地獄におちていく人がいます。やせ細って、のどが...
-
2011年11月18日
沢井鈴一の「名古屋の町探索紀行」第5講 干支の神様『羊神社』とその界隈 第2回「児子宮(ちごのみや)」
『名古屋市史』によりますと、児子宮はもともとは児の宮、あるいは児の御前社とよび錦神社の東、西志賀村にありました。 安永年間(一七七二~一七八〇)より、尾張藩主が何度も、この神社に参拝しました。修理費などを与えました。神社からは御...