沢井鈴一の「名古屋の町探索紀行」第9講 下街道の山田庄 第4回「廣福禅寺」

廣福禅寺

山田幼稚園

山田幼稚園

廣福禅寺の経営する山田幼稚園が国道十九号に面して建っている。幼稚園の正門前には「山田重忠旧里」の碑が、園庭には「贈正五位山田重忠朝臣之碑」がある。

山田重忠は承久の乱(一二二一)に後鳥羽上皇について、北条義時の軍と戦った人。美濃の国の墨股川で、わずか九十騎で奮戦したが力及ばず、杭瀬川まで後退した。強弓を引いて敵陣をおびやかしたものの、ここでも敗れ、瀬田まで逃げたが、幕府の大軍に押されて、敗れた。

都にもどり、後鳥羽上皇を尋ねるが、上皇は門を堅くとざして会うことを拒否した。上皇に裏切られたことを知った重忠は、大声で怨嗟の声をあげて立ち去った。

嵯峨まで落ちのびたが、敵の追手を息子の重継が防いでいる間に自害した。五十六歳であった。重継は討たれ、孫の兼継は十四歳で捕えられ、越後の国に流された。

幼稚園の正門前にある「山田重忠旧里」の碑

幼稚園の正門前にある「山田重忠旧里」の碑

地図


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