名古屋をとりまく歴史街道

  • 2013年2月11日

    東海道 池鯉鮒(知立)宿

    安城市に入り尾崎東の交差点を右に入り約1.5km行くと尾崎一理塚の碑に隣接して 熊野神社の参道へ着く。熊野神社の西側を鎌倉街道が 通り東海道を鎌倉街道が横切って南に進んでいた。 明治用水記念碑の向かい側にある明治川神社には、明...

  • 2013年2月8日

    東海道 岡崎宿

    南塚だけが残る大平の一里塚から北西へ約200mほど入ったところにあるのが大岡越前の屋敷跡。 大岡越前守忠相が寛延元年(1748年)、一万石の大名となった際、西大平藩の領地を治めるために 置いた陣屋(政庁兼居所)。 二十七曲が...

  • 2013年2月7日

    東海道 吉田宿

    吉田は鎌倉時代から、東海道の前身である鎌倉街道沿いの重要な町の1つ。戦国時代末期には東三河の戦略拠点の1つとして 今橋城(のちの吉田城)が築かれ、以後城下町として発展した。 戦国時代、徳川家康は今川義元の配下に置かれていた。しかし...

  • 2013年2月5日

    東海道 藤川宿

    本宿は近世に入り東海道赤坂宿、藤川宿の中間の宿として設置された。 立場茶屋も二か所あり、旅人の休息の場として繁盛した。 法蔵寺は松平初代親氏が深く帰依し、家康が幼いころ手習いや漢籍を 学んだとされ徳川家康の霊を弔う東照宮が建...

  • 2013年2月5日

    東海道 赤坂宿

    姫街道は、東海道見附宿(静岡県磐田市)と御油宿(愛知県豊川市)を結ぶ東海道の脇往還。 女性の往来が多いことから姫街道と呼ばれていた。 吉田より約10km、本陣 2軒、脇本陣はなく、旅籠62軒・総家数 316軒・人口 1,298...

  • 2013年2月3日

    東海道 御油宿

    姫街道は、東海道見附宿(静岡県磐田市)と御油宿(愛知県豊川市)を結ぶ東海道の脇往還。 女性の往来が多いことから姫街道と呼ばれていた。 吉田より約10km、本陣 2軒、脇本陣はなく、旅籠62軒・総家数 316軒・人口 1,298...

  • 2013年2月1日

    東海道 二川宿

    三河国最東端の宿場町である二川宿は、白須賀宿から約3km。 本陣と脇本陣各1軒、家数合わせて306軒、人数1,289の小規模な宿場であった。 二川宿本陣は、文化4年(1807)から明治3年(1870)まで本陣職を勤めた馬場家の...

  • 2013年2月1日

    東海道 坂下宿  難所 鈴鹿越え

    東海道は国道1号線に合流し西北に進む。市瀬を過ぎたあたりで右に別れ川沿いを進み、かけはね橋を渡り山中を進むと西願寺の前に出る。 西願寺を出ると再び、国道1号線に合流。一里塚跡を過ぎたところで右に分岐し、川に沿って超泉寺を右手に見...

  • 2013年1月31日

    東海道 関宿

    鈴鹿川に沿って東海道一の長縄手、太岡寺畷(なわて)が続く。 そこを過ぎると関宿の入口。7世紀この地に「鈴鹿関」が設けられたのが地名の由来。 東の追分は、東海道と伊勢別街道の分岐点。宿を進むと御馳走場の碑が建っている。 御馳走...

  • 2013年1月30日

    東海道 亀山宿

    亀山市に入り、石上寺の横の坂を登りきると和田の一里塚に到着する。 亀山宿の東の入口露心庵跡を過ぎ渋倉町へ右に曲がる左手角に江戸口門標柱がある。 東海道の番所だけでなく 亀山城惣構の城門であった。 脇本陣跡、樋口本陣跡を過ぎ左...