鈴鹿街道
鈴鹿峠(378m)を越える初めての官道は「阿酢波道(あすはどう)」と呼ばれ、平安時代の 仁和2年(886)に開通した。八町二十七曲といわれるほど、急な曲がり道の連続する。 (案内板より)
関宿を出て、沓掛へ
西の追分を出ると、東海道は国道1号線に合流し西北に進む。市瀬を過ぎたあたりで右に別れ川沿いを進み、かけはね橋を渡り山中を進むと西願寺の前に出る。
西願寺を出ると再び、国道1号線に合流。一里塚跡を過ぎたところで右に分岐し、川に沿って超泉寺を右手に見ながら、関町沓掛(くつかけ)の町へ入る。
馬や牛のわらじを「沓」といい、坂道にさしかかるところで馬のわらじを取替え、 旅の安全を祈ってその「沓」を木などに「掛」けたところ。沓掛の町を過ぎ山道を坂下宿へと向かう。
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坂下宿
坂下宿は近江から鈴鹿峠を越え伊勢に入った最初の宿場。もとは片山神社下の谷間にあったが 慶安三年(1650)の大洪水で宿が壊滅し、翌年現在地に移転された。江戸時代には東海道五十三次 のうち四十八番目の宿場町として賑わいをみせ、東海道の難所である鈴鹿峠を控えて 参勤交代の大名家の宿泊も多かった。江戸時代後半には本陣三軒、脇本陣一軒、 旅籠四十八軒を数える東海道有数の宿場であった。
(亀山市教育委員会案内板抜粋)。
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東海道の難所 鈴鹿越え
岩屋十一面観音から400m余進むと、片山神社の参道の鳥居が建っている。 ここから森のなかの山道を片山神社へと進む。このあたりは「古町」と呼ばれ、慶安三年(1650)九月の大洪水で宿場が壊滅するまで 坂下宿のあった所。片山神社は、古くは「鈴鹿明神」「鈴鹿権現」などともよばれ、延喜式内社として古代から信仰を集めてきた。
片山神社から敷き詰められた石畳を登ると 「ほっしんの 初(はじめ)に越える 鈴鹿山 」と刻まれた芭蕉碑が置かれている。
碑を過ぎて、さらに東海道を登ると鏡岩に通じる道がある。鏡岩は、縦2.3m、横2mあり、むかし峠に住む盗賊が街道を通る旅人の姿をこの岩に映して危害を加えたという伝説から俗称「鬼の姿見」ともいう。
鏡岩から再び東海道に戻り、田村神社跡を過ぎると三重県と滋賀県の県境にいたる。 ここから京まで十七里と石碑に刻まれている。
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