名古屋をとりまく歴史街道
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2013年3月27日
大和街道・伊賀街道が通る伊賀国は、伊勢・近江・山城・大和の国々に囲まれた山国で、上野盆地に入るためには、どの道を通っても険しい山を越えなければならなかったと同時に、伊賀国を通らなければ相互の連絡に不自由するという交通の要衝であった...
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2013年3月13日
美濃路の富田の一里塚の西前方に駒塚道の追分道標が見える。駒塚道は美濃駒塚領主石河(いしこ)正章が 享保11年(1726)自領から名古屋への参勤のために駒塚渡しとともに開設した街道で、美濃路の脇往還で大垣城下 へ続く竹鼻街道と接...
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2013年3月8日
小折本町白山から江南市。岩倉街道の西に平行して走る道沿いの 市立布袋東保育園のあたりから西の龍神社あたりなで生駒屋敷跡・小折城が 広がっていた。 生駒屋敷は小折にあることから「小折城」とも呼ばれ、織田信雄が 尾張藩主となる...
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2013年3月8日
県道166号線下本町下市場交差点の西あたり岩倉市下本町に岩倉城はあった。 岩倉城は、文明十一年(1497)頃に織田伊勢守系の兵庫助敏広が築城した。 敏広は、この城によって(丹羽・葉栗・中島・春日井)を支配し、下四群 (愛知・...
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2013年3月4日
佐屋街道は東海道の脇往還として七里の渡しの欠航時や船酔いを嫌う旅人に利用され大いににぎわった。 愛西市に入るとすぐに源頼朝が勧請したと伝えられる日置八幡社の鳥居が見えてくる。 すぐ近くにある明通寺は尾張藩祖徳川義直が鷹狩りの途...
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2013年3月1日
小坂井町の東海道と交差する場所が伊那街道の起点。 周辺には莬足神社や五社稲荷社がある。 莬足神社は7世紀後半頃に建てられたといわれ 稲の豊作を願った「田まつり」、風に対する信仰を寄せた「風まつり」が行われる。 五社稲荷社は...
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2013年2月27日
長篠の戦で功績を挙げた長篠城主奥平貞昌は信昌と改名。 徳川家康の長女亀姫と結婚し新城城を築城、長篠城 から移り住んだ。 これが現在の地名の由来となっている。 庚申寺を過ぎると橋向の石柱道標が建っている。 伊那街道と、遠州・...
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2013年2月22日
笠松町は、古くから木曽川の水運に恵まれ交通、経済の要衝として発展し、 美濃郡代笠松陣屋、県庁などが置かれ本県政治発祥の地として 栄えた。 木曽川を渡り笠松渡船場に着くと笠松渡船場石畳を上る。 大八車の車輪が道に食い込まない...
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2013年2月19日
丹下町の常夜灯から約1.1km東海道を京に向かって進むと天白川、天白橋を渡ると星崎に入る。 江戸時代、星崎はすぐそばまで海が迫る浜辺。その浜辺に塩田をつくり塩作りが行われていた。ここで生産された塩は塩付街道を通じて各地に送られ塩...
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2013年2月13日
刈谷市に入ると密蔵院 一ツ木の一里塚跡と続く。密蔵院は臨済宗永源寺派の寺院、三河三弘法の第3番霊場となっている。 東海道沿いに十王堂 、洞隣寺、乗願寺、乗蓮寺があり三河と尾張の境界である境川にいたる。 三河と尾張の境界を流れる境...