名古屋をとりまく歴史街道

  • 2013年1月30日

    東海道 庄野宿

    関西本線と平行に走る東海道は上野の交差点を過ぎ、再び国道1号線と 合流する、加佐登町を過ぎ国道1号線を右に折れ、再び左に曲がり 国道1号線の北を平行して庄野宿の町並みが並ぶ。 庄野宿は江戸から百二里余、東海道四十五次にあたり...

  • 2013年1月29日

    東海道 石薬師宿

    石薬師宿は江戸から数えて四十四番目の 宿場。天領であったこの地に 宿駅が設置されたのは、元和二年(1861)と遅 く、それまでは高富村と 呼ばれていた。 弘化二年(1845)の石薬師宿軒別図から職業構成をみると、 人家約18...

  • 2013年1月29日

    東海道 四日市宿

    朝日町から朝明川を渡ると四日市市に入る。 富田に入りと富田の一里塚跡、八幡神社、長興寺や善教寺などがある。 、茂福町に入ると茂福神社の参道が現れる。300m程奥まった所に 茂福神社が鎮座している。 海蔵川の手前に三ツ谷の一...

  • 2013年1月25日

    東海道 桑名宿

    宮宿から桑名宿までは、東海道唯一の海路。七里の渡し場は伊勢国の東口に当り、天明年間(1781~1789)伊 勢神宮の「一の鳥居」が建てられた。 以来伊 勢神宮の遷宮ごとに建て替えられている。 河口のまち桑名を象徴する蟠龍櫓は...

  • 2013年1月24日

    中山道 馬籠宿

    落合の石畳を上りきった所に一里塚跡、是より木曽路の碑、芭蕉句碑が並んでいる新茶屋である。 一里塚跡は、北塚は石碑のみ南塚は復元されて当時の様子をしのばせる。 是より木曽路の碑は、隣の馬籠宿で生まれた明治の文豪島崎藤村の筆に...

  • 2013年1月23日

    中山道 美江寺宿

    平野井川を渡り、瑞穂市に入る。400m弱行った右手に呂久の渡しの跡に 昭和4年(1929)に造られた小簾紅園がある。入口に呂久の渡し跡の石柱と 皇女和宮御送跡碑が建てられている。 「落ち行く身と知りながら もみじ葉の人なつかしく...

  • 2013年1月22日

    中山道 赤坂宿

    垂井町から大垣市に入ると左手に青野の一里塚が立っている。その北側の県道216号線の北に美濃国分寺跡の史跡が広がる。 赤坂宿の中心、四ッ辻へと向かう。途中、南に下り茶屋屋敷跡に寄ってみる。茶屋屋敷は、織田信長の造営した岐阜城の御殿...

  • 2013年1月21日

    中山道 垂井宿

    西の見付は垂井宿の西の入口で、大名行列などを迎えた。また非常時などには閉鎖された。安藤広重は この見付付近から西を見て、雨の降る中山道松並木の中を、大名が行列をつくり、西より垂井宿の西の 見付へ入ってくる様子や本陣からの出迎え...

  • 2013年1月19日

    中山道 今須宿

    寝物語の由来近江と美濃の国境は、この碑の東10mあまりにある細い溝であった。 この溝を挟んで両国の番所や旅籠があり、壁越しに「寝ながら他国の人と話し合えた」 ので寝物語の名が生まれたといわれている。 寝物語「は中山道の古跡と...

  • 2013年1月19日

    中山道 関ヶ原宿

    慶長五年(1600年)9月15日未明に、家康配下三万余の軍勢は、ここ桃配山周辺に陣取った。 家康はこの山頂において、大馬印を高々と揚げ指揮にあたった。最後の陣地に移るまで、 各陣営からの報告をもとに、しきりと作戦会議が開けれた...