本宿と法蔵寺
長沢の一里塚から約3km進むと、国道1号線沿いに本宿旧東海道入口記念碑が建っている。本宿は近世に入り東海道赤坂宿、藤川宿の中間の宿として設置された。
立場茶屋も二か所あり、旅人の休息の場として繁盛した。 本宿には家康公も食したとされる法蔵寺団子があることでも有名だ。
本宿の記念碑から250mほど行った左側に法蔵寺の参道が見得てくる。701年、僧行基の開山と伝えられる法蔵寺は松平初代親氏が深く帰依し、家康が幼いころ手習いや漢籍を学んだとされ徳川家康の霊を弔う東照宮が建っている。
また境内には京都三条河原で刑死した新撰組の近藤勇の首塚が祀られている。
より大きな地図で 藤川宿岡崎宿と東海道 を表示
山中八幡から藤川宿の東の入口 東棒鼻へ
本宿の一里塚から約3km進んだ東海道の南西にある山中八幡は、家康の父松平広忠により再興された。
中腹には家康が一揆の時、難を逃れたという洞穴があり、境内には胸高囲6.6m、根囲10.8mの巨大なクスノキがある。
山中八幡から約600m弱行くと藤川宿の東の入口である東棒鼻跡。毎年、朝廷へ馬を献上する幕府の一行がここ東棒鼻に入ってくるところを 描いた有名な広重の版画をが石碑に彫られている。
すぐ近くの畑では幻となった「むらさき麦-高野麦」を栽培している。
より大きな地図で 藤川宿岡崎宿と東海道 を表示
藤川宿
藤川宿は、赤坂より9kmの距離にあり、本陣1、脇本陣1、家数302、旅籠36軒、宿場人口1,213人の小規模な宿場。
棒鼻から約400m先には明星院、称名寺があり、さらに100m行った街道の脇には高札場、問屋場跡の標識が立てられてる。
高札場跡から約100m先、今も残る商家「銭屋」が当時の面影を残している。脇本陣跡の入り口の門は250年以上前に建てられたもので、現在は「藤川宿資料館」として公開されている。 資料館の裏手には本陣跡の石垣が保存されており、往時の栄光をしのばせている。
本陣跡から北東に約100mの距離に関山神社があり、美濃路に面して関山神社につながる参道が名鉄電車の線路をまたいで伸びている。
関山神社の参道に戻り250mほど行くと、西棒鼻に着く。小学校の前には、一里塚跡、西棒鼻跡があり 歌川豊広の歌碑が建てられている。その先左手ある十王堂は十人の王を祀る堂。冥土にいて亡者の罪を裁く10人の判官を指す。境内には「爰(ここ)も三河むらさき麦のかきつばた」と刻まれた芭蕉碑もある。
より大きな地図で 藤川宿岡崎宿と東海道 を表示
西棒鼻から藤川の松林
藤川宿を離れ、700mほど進むと、藤川の松並木が続く。松並木を抜けると、東海道は国道1号線と合流する。
より大きな地図で 藤川宿岡崎宿と東海道 を表示