御油一里塚と姫街道追分
豊川を渡り小坂井町に入り約1.4km過ぎた右側奥に、弥生時代中期から古墳時代前期(2000年前~1700年前)にかけての集落跡の爪郷遺跡があらわれる。
爪郷遺跡を過ぎ東海道を進むと豊川市に入る。国府高校を通りすぎ、しばらく進むと大社神社と一里塚が見える。爪郷遺跡を出て大社神社まで 7.7km弱の距離。
その先約250mの場所にある姫街道と東海道の追分には、秋葉常夜燈の傍らに追分道標が建つ。姫街道は、東海道見附宿(静岡県磐田市)と御油宿(愛知県豊川市)を結ぶ東海道の脇往還。女性の往来が多いことから姫街道と呼ばれていた。
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御油宿
旧御油橋、現在の五井橋を渡ると東海道五十三次35番目の宿場として栄えた町並み約1.3km御油宿の中心部。
吉田より約10km、本陣 2軒、脇本陣はなく、旅籠62軒・総家数 316軒・人口 1,298人であったといわれている。本陣は最盛期には4軒もあり、東海道の宿のなかでも上位に数えられる。また広重が描いたように御油や赤坂には飯盛女が多く、「留女」の客引きで有名な場所でもあった。
姫街道の追分から約300mにある五井橋(旧御油橋)を過ぎ、市立御油保育園の敷地に高札場跡の看板が立っている。その手前の角には日本の近代医学の祖と言われたエルウィン・フォン・ベルツ博士(1849 -1913)の妻花の実家跡の表示がある。"花"は日本人として国際社会で 活躍した先駆者の一人とされている。
高札場跡を右に曲がり50mもいくと問屋場跡の看板があらわれる。さらに約50m進み愛知県道374号線と交差し、左に30m入った街道の左に本陣跡がある。道を挟んだ北東200mの音羽川沿いには御油歴史資料館があり、御油宿に関するさまざまな資料が展示紹介されている。
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御油松並木
音羽川に沿って約600m先に御油松並木天然記念物の標識。
そこから約600m、街道の両側には徳川家康が約650本の三河黒松を植樹させた松並木が続く。箱根の杉並とともに東海道随一の景観を誇っており、松並木を過ぎると赤坂宿に入りる。
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