関川神社と赤坂見附跡
見附(みつけ)とは、宿場の入口に石垣などを積み、出入りする者を見張った場所のこと。赤坂宿の東の見附は関川神社の前に置かれていた。
関川神社は、長保3年(1001)の建立。本殿の横、境内茂るクスノキは、推定樹齢800年といわれている。
また境内には「夏の月 御油より出でて 赤坂や 芭蕉翁」と刻まれた石碑が建ってる。
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赤坂宿
赤坂宿は旧音羽町(現在は豊川市)にあり御油宿から1.7km、本陣 3軒、脇本陣 1軒、旅籠62軒 、総家数 349軒 、人口1,304人の小規模な宿場。
赤坂宿の見附から150mほど行くと長福寺の参道が見えてくる。長福寺境内には推定樹齢300年のヤマザクラがあり参詣者を楽しませる。
長福寺の参道から50m行き右手に曲がると杉森八幡宮の鳥居が見える。八幡宮境内のクスノキは、推定樹齢1000年を数え、夫婦楠と呼ばれ親しまれている。
また境内には明治時代につくられた舞台があり農村歌舞伎の上演も行われる。心棒の先を支点として盆が回るように仕組んだ皿回し式の回り舞台で赤坂の舞台として知られている。
杉の森八幡宮と東海道を挟みななめ向いの浄泉寺境内に建つ供養塔の脇には、大きな蘇鉄があり、安藤広重の東海道五十三次、赤坂宿の蘇鉄のモデルになったと伝えられている。
赤坂宿の最盛期には旅籠や茶屋が80軒も軒を並べていた。旅籠大橋屋は浄泉寺の参道のすぐそばにあり、芭蕉が宿泊し、句を読んだともいわれている。 創業は慶安2年(1649)、 東海道のなかでも当時のまま営業を続けている貴重な旅籠としてその名が知られている。
大橋屋から120m程先には、東海道宿駅・伝馬制度400年記念事業で建設された古い町屋を模した休憩所よらまい館が見える。すぐそばの駐車場には年貢の徴収や訴訟などを取り扱った赤坂陣屋跡(三河県役所跡)の表示もある。
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長沢の一里塚へ
よらまい館から約1.3km先の秋葉燈篭と「村社巌神社」の石柱を左に折れ山中に入ると、八王子神社がある。
祭神は、天照大神(あまてらすおおみかみ)、素戔嗚尊(すさのおのみこと)の御子五社三神を祀って八王子大権現と称したと言われている。
八王子神社から800m進み、長沢城跡をすぎたところに長沢の一里塚跡が建つ。ここからさらに進む藤川宿へと向かう。
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