亀山宿へ
亀山市に入るとすぐに国道1号線沿いに若一神社が鎮座している。しばらく進み右手に西信寺山門を見て椋川を渡る。橋の上からは遠くに鈴鹿山脈を見ることが出来る。
井田川町と和田町の境まで来ると谷口法悦題目塔が立っている。その先の左手に東海道から旧神戸道に分れる所の道端に和田の道標がある。
和田の公民館、福善寺を過ぎ、丘の上にかつては壮大な伽藍を有していたと伝えられる石上寺の本堂が見えてくる。石上寺の横の坂を登りきると和田の一里塚に到着する。現在は片塚しか残っていない。ここから約700m弱で亀山宿の東の入口露心庵跡に到着する。
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亀山宿
亀山宿に入り本町の町並みを進み、渋倉町へ右に曲がる左手角に江戸口門標柱がある。江戸時代においてはこの位置が亀山城下の東端、江戸口門は東海道の番所だけでなく 亀山城惣構の城門であった。
東町へ進み右手奥に福泉寺と法因寺が並んで建っている。福泉寺山門は近世地方有力寺院の建築様式を示しており、法因寺には樹齢300年の左巻榧や幕末の郡代奉行で藩政改革をし暗殺された黒田孝富の墓がある。
脇本陣跡、樋口本陣跡を過ぎ左手に曲がり坂を下る道の両脇に商家跡が並ぶ。坂の途中にある遍照院は、亀山有数の古刹で本堂は旧亀山城二之丸御殿玄関を移築したものだ。
県道を渡り、坂を登った左手に西町問屋跡の表札をかけた民家が見える。ここから約500m先に亀山宿西の入口、京口門跡標柱がある。
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亀山城郭
亀山城は、元正十八年(1590)岡本良勝によって築城され、三層の天守閣があった。寛永九年(1632)に幕命により解体され、のちに天守台に多門櫓が築かれた。 県下で唯一現存する城郭建造物だ。亀山城の南にある池のほとりに石井兄弟敵討跡の碑や池の側の松並木が見える。
東海道から少し北に入った所にある侍屋敷遺構は、武家建築として県下でも 希少な遺構として、亀山市文化財に指定されている。かっては、この北に広大な敷地を持つ、亀山城二之丸御殿跡があり、西には西の丸庭園が広がっていた。
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寺町から野村一里塚へ
京口門跡標柱を過ぎると寺町が広がる。京口門跡標柱の奥にある梅厳寺に始まり、大イチョウで知られる照光寺、心光寺 、永信寺 、光明寺 、慈恩寺と続く。
寺町を過ぎると500mほどで野村の一里塚が見える。
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