名古屋をとりまく歴史街道
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2011年12月7日
海抜510mの高地に、江戸から四十七番目の宿として、慶長九年(1604)に新たに設けられた。東の大井宿へは三里半、西の細久手宿 には一里半と、美濃十六宿の中で最も高く、それだけに人馬ともに険しい山坂が続く難所に開かれた宿であった。...
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2011年12月7日
海抜510mの高地に、江戸から四十七番目の宿として、慶長九年(1604)に新たに設けられた。東の大井宿へは三里半、西の細久手宿 には一里半と、美濃十六宿の中で最も高く、それだけに人馬ともに険しい山坂が続く難所に開かれた宿であった。...
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2011年12月7日
三つの城が見えたといわれるほど見晴らしのいい三城峠を越え みつじ坂を下ると、深萱立場茶屋跡に出る。 深萱立場は、大湫宿と大井宿の中間にあり、茶屋や立場本陣、馬茶屋 など10余戸の人家があった。立場本陣は身分の高い人お休憩所で...
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2011年12月7日
中津川市に入り、茄子川の石仏を過ぎると茄子川(なすびがわ)村の中心部。 江戸時代初期の茄子川村は、尾張徳川家・山村氏・千村氏・それに旗本馬場氏ら 八名の入相支配地。 村高6368石余のこの付近でも大きな村の一つであった。 ...
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2011年12月7日
子野の一里塚を過ぎ、中津川村と落合村の境界、三五沢川に架かる橋を渡る。 この先の急峻な坂を上りきった開けたところに与坂立場跡碑が民家の前に立っている。 この立場では団子が名物として人気をはくしていたと伝えられる。また、ここからは、...
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2011年5月21日
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2011年5月21日
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2011年5月21日