名古屋をとりまく歴史街道
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2013年1月16日
うとう峠を下り、国道21号線に合流した中山道を木曽川沿いに進むと、左手の山の岩盤を 削った所に岩屋観音が木曽川を見下ろすように祀られている。 岩屋観音は、近郷近在の村人からはもちろん、中仙道の旅人たちにも厚く信仰されていた。 19...
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2013年1月16日
芭蕉は三度鵜沼宿を訪れ、脇本陣の坂井邸に宿泊して、その都度句を詠んだ。1度目の訪問で詠んだ「ふく汁も 喰へは喰せよ きくの酒」は刻んで句碑となり現在は、坂井邸から犬山の薬師寺に奉納されている。2度目と3度目の来訪で詠んだ句は、...
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2013年1月6日
中山道の宿駅としていつ設置されたかは不明であるが、幕府が中山道を 設置する以前から存在したことは、天正10年(1582)織田信長が武田氏攻略、 慶長5年(1600)徳川秀忠が関ヶ原合戦の際、ここに宿泊していることからも わか...
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2013年1月5日
大和街道・伊賀街道が通る伊賀国は、伊勢・近江・山城・大和の国々に囲まれた山国で、上野盆地に入るためには、どの道を通っても険しい山を越えなければならなかったと同時に、伊賀国を通らなければ相互の連絡に不自由するという交通の要衝であった...
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2012年12月27日
下街道は名古屋城下と中山道を結ぶ脇街道。 中山道よりも峠が少なく利便性もよかったため多くの旅人の往来があった。 中山宿は下街道十五里二日の行程の中間地点にあったため馬継所、宿場町 として繁栄した。 土岐市美濃陶磁歴...
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2012年12月27日
内津峠を越え池田町に入ると下街道の面影を残した まちなみが続く。土岐川の北岸の市街地を進み 多治見橋を渡り本町オリベストリートへ入り、 この周辺にある多治見国長公遺址や西浦庭園を見る。 国道19号線の北の虎渓山永保寺や多治...
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2012年5月5日
伊勢国と伊賀国にまたがる伊賀街道は、津から橡ノ木峠とも呼ばれた長野峠を越えて上野に至る全長12里(約50キロメートル)の街道で、現在の松阪、市中林町(旧三雲町)の月本の追分を起点とする奈良街道(古くは「伊賀越奈良道」)と重なる部分...
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2012年5月2日
松阪城から見た松阪中心部松阪の町は、戦国時代に蒲生郷里(がもう うじさと)が築城した城下町として出発しました。江戸時代になってから松阪の町は紀州徳川家の支配下になり、1644年天守閣が台風のため倒壊しました。その翌年から松阪の町の...
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2012年5月2日
伊勢別街道の名は、四日市日永追分から伊勢にいたる伊勢街道の支道の意味で、街道の総距離はおよそ四里二六町。途中、楠原、椋本、窪田に宿場が設けられ、江戸時代には京都方面からの参宮客で賑わった。 (三重の歴史街道説明文より)
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2011年12月8日
伊勢街道は江戸時代には東海道に次いで交通量が多いにぎやかな街道で、 多くの物資や情報も行き交い、途中、東海道や伊勢別街道、 伊賀街 道等、多くの街道が合流(分岐)するため、伊勢国の幹線道路として、 地元の人々にとっても重要...