刈谷市の東海道
刈谷市に入ると密蔵院 一ツ木の一里塚跡と続く。密蔵院は臨済宗永源寺派の寺院、三河三弘法の第3番霊場となっている。 東海道沿いに十王堂 、洞隣寺、乗願寺、乗蓮寺があり三河と尾張の境界である境川にいたる。
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豊明市の東海道
境川を越え、伊勢湾岸道路を越え、再び国道1号線と合流して進むこと約850m、途中名鉄本線豊明駅を左手に見て再び国道1号線と分岐する。分岐点から県道57号線と交差し100mほど行った街道の両脇に阿野の一里塚が残る。両塚が現存する例は珍しく、愛知県下では岡崎市の大平一里塚、知立市の来迎寺一里塚などがあるのみだ。
沓掛城を出陣した今川の軍勢は桶狭間の戦いで壊滅した。桶狭間の戦いの戦死者を弔った戦人塚は、名鉄名古屋本線前後駅の北500mの丘の中腹にある。桶狭間の戦いの戦死者は今川軍2,500人、織田軍830人と伝えられ、この戦人塚には、そのうちの2,500余名の霊が眠っている。
このあたり東海道沿いの豊明市から名古屋市の緑区にかけては、戦国時代に今川義元と織田信長が戦った桶狭間の戦にゆかりのある場所。中京競馬場の南にある高徳院(豊明市)の境内には今川義元本陣跡がある。
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名古屋市の桶狭間古戦場遺跡
名古屋市緑区にある桶狭間古戦場址は公園として整備され今川公首洗いの泉などが残る。近くの長福寺は、上洛する今川勢を酒食でもてなしたとされ、境内には合戦死者の供養搭が建っている。
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有松
古戦場を後にして、東海道は大将ヶ根で1号線と分岐して有松に入る。
竹田庄九郎らによって生み出された有松絞りは、江戸時代には東海道五十三次一の名産品と謳われてた。沿道には服部家住宅、竹田邸、小塚邸など 当時の面影を残した商家が建ち並び往時をしのばせる。
有松山車会館には、有松が所有する「布袋車」「唐子車」「神功皇后車」の山車を順次、1台づつ展示している。
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鳴海宿へ
有松を過ぎ名鉄の踏切を超えて約1km東海道を進むと、平部常夜灯があり鳴海宿へと入っていく。鳴海宿は本陣 1軒、脇本陣 2軒 、旅籠屋 68軒、総家数 847軒、総人口 3,643人の規模の宿場。
平部常夜灯から500mほどにある扇川の川向こうのにあるのが鳴海城主・安原宗範創建の寺、瑞泉寺。 さらに150m行くと曲の手、道はクランク状に曲がり鳴海宿の中心部へと進む。
本町、根古屋町には問屋場、脇本陣、本陣があり、北側の山手には万福寺をはじめとする寺院や鳴海城跡(移転前の成海神社)などが点在する鳴海宿の中心部。
作町の交差点で東海道は右に曲がり、北へ500mあまり進んだ右側にあるのが丹下町常夜灯。この常夜灯が鳴海宿の西の出入り口。
丹下町常夜灯から街道をそれ、西北へ300mの山道をのぼると成海神社が鎮座する。日本武尊(やまとたけるのみこと)を祀る成海神社は、根古屋城(鳴海城)があった場所に位置していたが、築城のため現在地に移転された。
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