小坂井町周辺 東海道・伊那街道追分
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伊那街道起点付近
小坂井町の東海道と交差する場所が伊那街道の起点。周辺には莬足神社や五社稲荷社がある。
莬足神社は7世紀後半頃に建てられたといわれ 稲の豊作を願った「田まつり」、風に対する信仰を寄せた「風まつり」が行われる。五社稲荷社は五穀豊穣、商売繁盛、福徳円満の神として崇敬されている。
追分から伊那街道を進むとすぐ篠束の常夜灯がある。
牛久保周辺
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牛久保
牛久保には多くの歴史遺跡が残されている。
牛久保城は豊川の古い河岸段丘を利用した2重の水堀を備えた平城。 享禄2年(1529年)に宝飯郡の牧野城主であった牧野成時(古白)の子、成勝が築城したと伝えられている。
大聖寺の境内には一色城主一色刑部時家の墓や、桶狭間の戦いで戦死した首のない義元の胴体を背負いこの地に葬った今川義元の胴塚などがある。長谷寺には武田信玄の軍師として知られる山本勘助の遺髪を埋めて建立した墓がある。
豊川稲荷周辺
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豊川稲荷周辺
豊川閣妙厳寺の南側で伊那街道は姫街道と交わる。
妙厳寺はおよそ560年余年前に建立された曹洞宗の寺院。法堂(本堂)にはこの寺の本尊千手観世音菩薩を祀っている。境内に鎮守として祀られた豊川稲荷は「豊川枳尼(ダキニ)真天」の通称。商売繁盛の神様として全国的に知られている。妙厳寺の近くの南東にある三明寺の三重塔は国の重要文化財。第一層と第二層が和様第三層が唐様になっている。東豊町の枡形には観音堂の馬頭観音石仏道標・常夜灯が並んで建っている。
三河一宮 砥鹿神社周辺
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砥鹿神社
伊那街道を進み三河一宮まで来ると砥鹿神社が鎮座している。三河国の神社では筆頭格で一宮町の名前の由来にもなっている。砥鹿神社の境内を横切るように伊那街道が通っている。
一宮町から東上町
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新城へ
飯田線長山駅の周辺に長山の石柱道標が建っている。近くにある 東上北岡の六郎の墓は、家康に攻略され陥落した足山田城主 秋山新九郎の家臣で唯一生き残り長山村に逃れ住んだ東上北岡の六郎を弔っている。
南に下り豊川沿いにある龍源寺の名前の由来は、2匹の龍が出没して村人を苦しめたのを降服させたという故事からきている。東上の御番所跡は川を下る船の積み荷に対する分一税を徴収していた役所。