制作状況
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2012年12月15日
2013年5月29日に玄関・表書院を公開予定の名古屋城本丸御殿で、玄関部分を覆っていた「素屋根」が撤去され、工事中の玄関部分が姿を現しました。 「素屋根」は工事現場全体を雨風から守るために覆う仮の屋根のことで、この日は、素屋...
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2012年12月14日
沢井鈴一の「名古屋の町探索紀行」第12講 味鋺界隈 第2回「薮から出てきた神獣鏡――白山薮古墳址」
保育園の庭から、子供たちのにぎやかな笑い声が聞こえてくる。子供たちは、片時もじっとしておれないようだ。かしましいこと、このうえもない。かつて、この保育園の地は、一面の薮におおわれていた。薮の下には古墳が埋もれていた。味鋺百塚と呼ば...
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2012年12月7日
沢井鈴一の「名古屋の町探索紀行」第12講 味鋺界隈 第1回「無限の慈悲のほほえみ──首切地蔵」
新地蔵川を渡り、庄内川に向けて歩いて行く。橋を渡ると四辻に出る。四辻の西北の地に、二つの祠が建っている。東の祠にはお地蔵さま、西の祠には味鋺神社から迎えたお礼が祀られている。 ここに祀られているお地蔵さまは、他の地にあるお地...
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2012年12月3日
世界初!連柿100串に挑戦 伊自良大実の連柿づくり(山県市)
山県市伊自良地区の連柿は、伊自良大実(いじらおおみ)という細長い渋柿を串に刺して吊るすのが特徴です。伊自良大実はヘタが取れやすいため、串に刺してつるす現在の形になりました。もともとは柿渋の生産を目的にこの地域で広まったものが、時代...
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2012年11月30日
沢井鈴一の「名古屋の町探索紀行」第11講 柳原から土居下 第7回「弁天様の社──深島神社」
深島神社は、もとは弁才天、あるいは深島弁才天とも呼ばれていた。 深島は、柳原の西北にある、この地の古い地名。弁才天は七福神の一として福徳賦与の神として信仰されている女神である。江の島、宮島、竹生島、大和の天の川、宮城の金華山...
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2012年11月24日
愛知県豊田市小原地区は小原和紙と四季桜で有名です。 小原地区の四季桜は文政年間内の始めに豊田市小原北町の藤本玄碩という医師が名古屋方面から苗を求めて植えたのが親木となって広まったものと言われています。秋になると約10,000...
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2012年11月23日
沢井鈴一の「名古屋の町探索紀行」第11講 柳原から土居下 第6回「八重一重(やえひとえ)咲き乱れたる──柳原御殿址」
長栄寺の南の地に、江戸時代、八代藩主宗勝の第六子松平藤馬の豪壮な邸宅があった。世の人々は、この屋敷を柳原御殿と呼んでいた。広大な庭には、山あり、池あり、四季おりおりの花に彩られていた。特に春の桜の見事さ は圧巻であった。 柳...
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2012年11月20日
横蔵寺は、西美濃三十三霊場第一番札所。 紅葉の名所でもあり秋の行楽シーズンには特に多くの観光客が訪れます。 国の重要文化財を含む数多くの文化財を所有し、「美濃の正倉院」とも呼ばれています。 華厳寺は、岐阜県揖斐郡揖斐川町谷汲...
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2012年11月16日
沢井鈴一の「名古屋の町探索紀行」第11講 柳原から土居下 第5回「徳高き活仏の寺──長栄寺」
国道四一号線をはさみ、豪潮寺と呼ばれる寺が東側の大杉の地と西側の柳原の地にある。柳原の豪潮寺は長栄寺のことである。 長栄寺は、もともとは愛知郡東郷町諸輪にあった寺で、養老年間(七一七~七二三)に泰澄が建てたものである。野間の...
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2012年11月9日
沢井鈴一の「名古屋の町探索紀行」第11講 柳原から土居下 第4回「霞になびく柳原──柳原商店街」
『名区小景』に「柳原の霞」という題で数多くの歌が載っている。 朝日さす御城のうへより立そめて 霞になびく柳原かな 嘉寛 柳原かすむ春日に見わたせば 花よりさきの錦なりけり 正蔭 の二首は柳...