制作状況

  • 2013年1月25日

    沢井鈴一の「名古屋の町探索紀行」第13講 如意界隈 第1回「にょらい塚──大井神社」

    にょらい塚を探して、如意の里を歩いた。「にょらい」何とも魅力的な響きだ。楠町には多くの塚が散在している。味鋺には百塚と呼ばれるほど多くの塚があった。如意にも「道観塚」「富士塚」「鳥見塚」など、かつてこの地に存在した塚の名前が地名(...

  • 2013年1月24日

    中山道 馬籠宿

    落合の石畳を上りきった所に一里塚跡、是より木曽路の碑、芭蕉句碑が並んでいる新茶屋である。 一里塚跡は、北塚は石碑のみ南塚は復元されて当時の様子をしのばせる。 是より木曽路の碑は、隣の馬籠宿で生まれた明治の文豪島崎藤村の筆に...

  • 2013年1月23日

    中山道 美江寺宿

    平野井川を渡り、瑞穂市に入る。400m弱行った右手に呂久の渡しの跡に 昭和4年(1929)に造られた小簾紅園がある。入口に呂久の渡し跡の石柱と 皇女和宮御送跡碑が建てられている。 「落ち行く身と知りながら もみじ葉の人なつかしく...

  • 2013年1月22日

    中山道 赤坂宿

    垂井町から大垣市に入ると左手に青野の一里塚が立っている。その北側の県道216号線の北に美濃国分寺跡の史跡が広がる。 赤坂宿の中心、四ッ辻へと向かう。途中、南に下り茶屋屋敷跡に寄ってみる。茶屋屋敷は、織田信長の造営した岐阜城の御殿...

  • 2013年1月21日

    中山道 垂井宿

    西の見付は垂井宿の西の入口で、大名行列などを迎えた。また非常時などには閉鎖された。安藤広重は この見付付近から西を見て、雨の降る中山道松並木の中を、大名が行列をつくり、西より垂井宿の西の 見付へ入ってくる様子や本陣からの出迎え...

  • 2013年1月19日

    映像で綴る名古屋の400年

    関ケ原の戦いに勝利した徳川家康は、当時の尾張藩の藩都清洲から名古屋への遷府を計画、 実行した。来るべき豊臣家との決戦に備え、低地にあって水攻めに弱い清洲から名古屋台地の 上に新首府を築くべく町ごと移転「清洲越し」と呼ばれた。

  • 2013年1月19日

    中山道 今須宿

    寝物語の由来近江と美濃の国境は、この碑の東10mあまりにある細い溝であった。 この溝を挟んで両国の番所や旅籠があり、壁越しに「寝ながら他国の人と話し合えた」 ので寝物語の名が生まれたといわれている。 寝物語「は中山道の古跡と...

  • 2013年1月19日

    中山道 関ヶ原宿

    慶長五年(1600年)9月15日未明に、家康配下三万余の軍勢は、ここ桃配山周辺に陣取った。 家康はこの山頂において、大馬印を高々と揚げ指揮にあたった。最後の陣地に移るまで、 各陣営からの報告をもとに、しきりと作戦会議が開けれた...

  • 2013年1月18日

    沢井鈴一の「名古屋の町探索紀行」第12講 味鋺界隈 第7回「雷除の神社──西八龍社」

    東日本大震災の例をとるまでもなく自然の猛威の前には、人間はなす術を知らない。科学が発達し、あらゆることが解明されたかに見える現代でも、人間の無力を嘲笑うかのように、自然は猛威をふるい災害をもたらす。自然を畏怖する心から、自然を敬う...

  • 2013年1月16日

    中山道 太田宿

    うとう峠を下り、国道21号線に合流した中山道を木曽川沿いに進むと、左手の山の岩盤を 削った所に岩屋観音が木曽川を見下ろすように祀られている。 岩屋観音は、近郷近在の村人からはもちろん、中仙道の旅人たちにも厚く信仰されていた。 19...