制作状況
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2012年10月11日
からくりというのは、大きく分けて「山車からくり」と「座敷からくり」に大別されます。 大阪の道頓堀に「竹田近江からくり人形一座」からくり人形一座が1600年代に旗揚げして、 大阪から京、尾張、江戸と巡業を行い、全国へ広がっていった。...
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2012年10月10日
「はんだ山車まつり」は半田青年会議所の設立15周年記念行事として昭和54年に始まった。 半田市制50周年記念事業として二回目が開催されてから5年ごとに開催されている。 第7回目を迎えた今回は、2012年10月6日と7日に開催さ...
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2012年10月5日
沢井鈴一の「名古屋の町探索紀行」第10講 下街道大曽根界隈 第8回「赤塚神明社」
神社の境内に佇ずむだけで、その里の歴史を感ずることができる。その里ばかりではなく、過去の日本が辿ってきた道に、自然と思いをはせる場合もある。赤塚神明社は、そんな神社の一つだ。 国道十九号に面して、楠公湊川神社の石碑が立ってい...
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2012年9月28日
名古屋城築城に使用しようとした跡が残る南知多町篠島の「矢穴石」が名古屋市に贈られ、名古屋城西之丸広場で2012年9月23日(日)、寄贈式が行われました。 矢穴石は縦1.7m、横1.6m、奥行き2mで重さ約8トン。石の上部に矢...
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2012年9月28日
沢井鈴一の「名古屋の町探索紀行」第10講 下街道大曽根界隈 第7回「瑞忍寺」
瑞忍寺創建の由来について『尾張名陽図会』は次のように記している。 元和年中(一六一五~一六二三)、当所に源左衛門といふ百姓の後家が、居みし屋敷の畠にて石仏を掘り出しけるが、古くなりて面体も分らず。小仏なれば大黒と思ひ安置す。...
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2012年9月21日
沢井鈴一の「名古屋の町探索紀行」第10講 下街道大曽根界隈 第6回「了義院」
『尾張名陽図会』は、了義院を次のように説明している。 此地元は冷谷山成就院とて不動尊を本尊とせし真言宗の寺なりしが、いつしか荒廃してありしを安永年中峯上人といふ人、摂津国野勢の妙見の尊像をうつし仏工に彫刻せしめ是を本尊として...
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2012年9月14日
沢井鈴一の「名古屋の町探索紀行」第10講 下街道大曽根界隈 第5回「関貞寺」
今は、建物に隔てられ何も見ることはできないが、明治の終わり頃までは美濃、越前、加賀、近江、三河、信濃、尾張北部の七州が一眸に収められたので、関貞寺の書院は七州閣と称せられていた。 『尾張名陽図会』に 関貞寺は大曽根の坂...
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2012年9月7日
沢井鈴一の「名古屋の町探索紀行」第10講 下街道大曽根界隈 第4回「片山八幡神社」
東区には、国道十九号を隔てて片山神社が芳野町に、片山八幡神社が東大曽根にある。二つの片山神社は、式内社の地位をめぐり、明治時代まで争いを何百年間もくりかえしていた。 津田正生の『尾張地名考』はそのいきさつを 瀧川氏蔵王...
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2012年8月31日
沢井鈴一の「名古屋の町探索紀行」第10講 下街道大曽根界隈 第3回「本覚寺」
本覚寺は、日蓮宗、京都妙伝寺の末寺。もともとは清洲の地にあった寺で、本法寺と呼んでいた。寛永年中(一六二四~一六四三)に現在の地に移ってきた。 正保五年(一六四八)恵性院日相が本尊をこの寺に移し、本覚寺と名を改めた。本尊は、...
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2012年8月26日
名古屋城本丸御殿玄関・表書院の公開カウントダウン開始を記念して、復元工事現場見学会と親子匠の技体験会が、2012年8月25日(土)名古屋城内の本丸御殿復元工事現場にて開催されました。 普段の高さ約9mの見学コースに加え、今回...