制作状況
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2013年1月16日
芭蕉は三度鵜沼宿を訪れ、脇本陣の坂井邸に宿泊して、その都度句を詠んだ。1度目の訪問で詠んだ「ふく汁も 喰へは喰せよ きくの酒」は刻んで句碑となり現在は、坂井邸から犬山の薬師寺に奉納されている。2度目と3度目の来訪で詠んだ句は、...
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2013年1月13日
2013年5月29日に玄関・表書院の公開が控える名古屋城本丸御殿では、着々と復元工事が進んでいます。 昨年12月15日の取材時には素屋根撤去作業直後ということもあって屋根に養生が残っていましたが、養生やシートの大部分は取り払...
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2013年1月6日
中山道の宿駅としていつ設置されたかは不明であるが、幕府が中山道を 設置する以前から存在したことは、天正10年(1582)織田信長が武田氏攻略、 慶長5年(1600)徳川秀忠が関ヶ原合戦の際、ここに宿泊していることからも わか...
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2013年1月5日
大和街道・伊賀街道が通る伊賀国は、伊勢・近江・山城・大和の国々に囲まれた山国で、上野盆地に入るためには、どの道を通っても険しい山を越えなければならなかったと同時に、伊賀国を通らなければ相互の連絡に不自由するという交通の要衝であった...
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2013年1月4日
沢井鈴一の「名古屋の町探索紀行」第12講 味鋺界隈 第5回「天平の鴟尾──護国院」
新川中橋を渡り、庄内川の堤防道路を水分橋にむけて車を走らせる。庄内川の水が、ゆったりと流れていく。遠く堤防の上から眺める庄内川の流れは、とどまっているのか、流れているのかわからないようなゆるやかな速度だ。しかし、川辺にたたずんで水...
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2012年12月28日
沢井鈴一の「名古屋の町探索紀行」第12講 味鋺界隈 第4回「夫婦椿──味鋺神社」
平成十五年十月一日、味鋺神社の縁起を記した立札の除幕式が行われた。味鋺神社は『延喜式』の「神名帳」に記されている由緒ある神社である。立札には、延喜五年(九〇五)に勅をうけて調査が始められ、延長五年(九二七)に国の神社として指定され...
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2012年12月27日
下街道は名古屋城下と中山道を結ぶ脇街道。 中山道よりも峠が少なく利便性もよかったため多くの旅人の往来があった。 中山宿は下街道十五里二日の行程の中間地点にあったため馬継所、宿場町 として繁栄した。 土岐市美濃陶磁歴...
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2012年12月27日
内津峠を越え池田町に入ると下街道の面影を残した まちなみが続く。土岐川の北岸の市街地を進み 多治見橋を渡り本町オリベストリートへ入り、 この周辺にある多治見国長公遺址や西浦庭園を見る。 国道19号線の北の虎渓山永保寺や多治...
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2012年12月21日
沢井鈴一の「名古屋の町探索紀行」第12講 味鋺界隈 第3回「通路になった社──東八龍社」
「私は味鋺に移ってきてから三十年になります。今年、八十になりますが、毎日、家でじっとしているのも辛いので、この東八龍社に来て境内の草とりをしています。見てください。そこにも犬の糞がすててあるでしょう。庄内川の堤防からの細道が神社の...
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2012年12月15日
この度、当webサイト「Network2010」の運営主体を任意団体Network2010から特定非営利活動法人ビジュアルコンテンツプロダクトネットワーク(略称 VCPN)へと移管しました。 約4年間の活動の中で取り扱う内容や領...