連載
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2009年5月22日
沢井鈴一の「名古屋広小路ものがたり」第4講 大正時代の広小路 第8回「南大津通りの松坂屋」
広小路通りと本町通りの交差する地点は、かつては名古屋の中心地であった。 大正十四年一月二十七日、わずか一坪の土地が三千百五十円で売られた。買手は中村呉服店である。中村呉服店は、この年まで広小路通りから東側北へ二軒目で商売をしていた...
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2009年5月15日
沢井鈴一の「名古屋広小路ものがたり」第4講 大正時代の広小路 第7回「韋駄天人力車」
本町通りと広小路の交差点に道路元標が建っている。道路の基点を示す標石である道路元標は大正八年(一九一九)に、当時制定された「道路法」によって、各市町村に一か所ずつ建てられた。設置場所は東京都だけは「日本橋中央」と決められたが、他の...
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2009年5月8日
沢井鈴一の「名古屋広小路ものがたり」第4講 大正時代の広小路 第6回「パンといえばシキシマ」
明治維新は、従来の価値観を根底から覆した時代である。衣食住のすべてにわたり、変革を強いられた時代でもある。旧来の慣習に浸り、変革を受け入れようとしない人々。それに対して、いちはやく西洋の流儀を取り入れ、時代の波に乗りおくれまいとす...
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2009年5月1日
沢井鈴一の「名古屋広小路ものがたり」第4講 大正時代の広小路 第5回「広小路の騒動」
新聞が世論を形成し、新聞記者が市民の先頭に立って社会の矛盾や腐敗と対決していた時代があった。新聞は大企業や時の権力者に阿る機関ではなく、正義をかざし、不正を追及する機関であった。しかし、あまりにも世論が沸騰すると、時にはゆきすぎた...
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2009年4月24日
沢井鈴一の「名古屋広小路ものがたり」第4講 大正時代の広小路 第4回「広小路にそびえる摩天楼」
名古屋駅前に超高層ビルが空高く聳えている。名古屋駅から出て来た人々は、一瞬立ち止まり、眼の前に現れたビルを仰いでいる。 大正五年(一九一六)、広小路に摩天楼が出現した。名古屋駅前の摩天楼を仰ぐ平成の人の驚きよりも、広小路に初...
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2009年4月17日
沢井鈴一の「名古屋広小路ものがたり」第4講 大正時代の広小路 第3回「御大典記念」
雨が降れば、海のような状態になる。雨が止んだ後は、何日もぬかるみが続く。人力車が道の中央を走りぬけてゆく。牛車や馬車がゆっくりと道の脇を通ってゆく。自動車が走れば、ぬかるみのしぶきがはね、通行人の着物にかかる。 下駄で、ぬか...
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2009年4月10日
沢井鈴一の「名古屋広小路ものがたり」第4講 大正時代の広小路 第2回「饅頭のごとく円満に、うどんのごとく末長く」
大正二年五月五日、改築された納屋橋の渡り初めが行なわれた。竣工式を一目でも見ようと納屋橋におしかけた人々は六万人をこしたという。屋根の上から式典を見つめる人、納屋橋の川の下には幾艘も伝馬船が浮かんでいる。伝馬船の上も、式典を見つめ...
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2009年4月3日
沢井鈴一の「名古屋広小路ものがたり」第4講 大正時代の広小路 第1回「納屋橋の運河遺構」
昭和の広重と謳われた川瀬巴水(一八八三~一九五七)が昭和十年に描いた堀川の版画がある。堀川を描いた木版画は、巴水の作品以外に見たことはない。非常に貴重なものだ。 巴水の絵は、夜空に輝く星が耿々と堀川を照らしている図だ。無人の石畳の...
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2009年3月27日
沢井鈴一の「名古屋広小路ものがたり」第3講 開化期の広小路 第10回「広小路の夜を照す粋な明り」
地下鉄伏見駅を出て、広小路を東に歩いてゆくと南側に電気文化会館がある。ギャラリーで展覧会を見たり、喫茶室でお茶を飲んだりする人々で、いつも大変な賑わいをしめしている。 電気文化会館が建っている地には、かつて名古屋電灯株式会社...
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2009年3月20日
沢井鈴一の「名古屋広小路ものがたり」第3講 開化期の広小路 第9回「御園座開場す」
雑誌『歌舞伎』明治三十九年十二月号に「元来名古屋は芸道に身を入れる風習あり、旅興行の俳優なども、この地を煙ったがることは、つとに世人の知るところ、されば田舎にしては恐ろしきほどの見巧者あり、いわゆる寸鉄人を殺す大向うの半畳なれど、...