連載
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2010年5月14日
沢井鈴一の「俗名でたどる名古屋の町」第3講 矢場地蔵から隠れ里 第2回「赤門通」
赤門通りの由来について、昭和十五年刊行の『裏門前町誌』のなかで青山市太郎は、次のように記している。 多年の懸案であった三輪町線区画整理組合も成立した。これは、最初十数年前商品陳列館の東門よりの通りがなくて不便であったのが原因...
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2010年5月7日
沢井鈴一の「俗名でたどる名古屋の町」第3講 矢場地蔵から隠れ里 第1回「矢場地蔵」
矢場地蔵とは俗名であって、正式には徳寿山清浄寺という。『尾張年中行事絵抄』は、俗名の由来について次のように記している。 ここを矢場と呼事は、世に名高き星野先生の通し矢を御覧のために、京の三十三間堂のさまをうつせし其堂形ありて...
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2010年4月30日
沢井鈴一の「俗名でたどる名古屋の町」第2講 豊竹小路から地獄谷 第7回「地獄谷」
若宮通りを越して、大須に入る。西側にテレビ愛知のビルが見える。本町通りを右に曲り、テレビ愛知に向けて歩いてゆく。いかにも大須の裏通りといった感じの通りだ。仁王門通りや万松寺通りにみられるきらびやかな店は一軒もない。落着いた、この地...
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2010年4月23日
沢井鈴一の「俗名でたどる名古屋の町」第2講 豊竹小路から地獄谷 第6回「水天宮通り」
北野天満宮の前の道を北に進んでゆくと行き止まりになる。行き止まりになった所に、古い門が残っている。清安寺の焼け残った門だ。門と呼ぶより、玄関という表現の方がふさわしいかも知れない。寺の門といういかめしい感じは、この門からうけない。...
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2010年4月16日
沢井鈴一の「俗名でたどる名古屋の町」第2講 豊竹小路から地獄谷 第5回「たぬき山」
ホームレスが長いこと占拠していて、中に入ることを躊躇せざるを得なかった浪越公園が、平成十七年度に整備され、面目を一新してお目見えをした。 浪越公園は、明治十二年三月、名古屋最初の公園として開場した由緒ある公園だ。高瀬果之助、...
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2010年4月9日
沢井鈴一の「俗名でたどる名古屋の町」第2講 豊竹小路から地獄谷 第4回「元新地」
大須の町の中に、北野天満宮という小さな小さな神社が建っている。境内は狭いが、由緒は古い神社だ。もともとは、大須観音と同じく、現在の羽島市の長岡庄大須の地にあった神社だ。醍醐天皇(八九七年即位、在位三三年)の勅建の神社で、京都の北野...
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2010年4月2日
沢井鈴一の「俗名でたどる名古屋の町」第2講 豊竹小路から地獄谷 第3回「浅間横丁・うまいもの横丁」
頑丈な防火壁に囲まれているために、戦火を免れた神社がある。大須の富士浅間神社だ。防火壁は神社の南側に、今も赤茶けた色で神社を護るかのようにして建っている。 富士浅間神社が、現在の地に創建されたのは明応四年(一四九五)のことだ...
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2010年3月26日
沢井鈴一の「俗名でたどる名古屋の町」第2講 豊竹小路から地獄谷 第2回「浅間通り」
大須観音通りは、かつては浅間通りと呼ばれていた。浅間神社にちなんで付けられた名前であることは言うまでもない。街路灯も神灯式のものが使われていた。 大須は、昼と夜の顔を持っている。昼間は地方から大勢の人が大須の観音様にお参りにくる。...
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2010年3月19日
沢井鈴一の「俗名でたどる名古屋の町」第2講 豊竹小路から地獄谷 第1回「豊竹小路」
どんな細い道であっても、俗名で呼ばれる道には、俗名にまつわる由来がある。伏見通と大須通の交差点を東に向かって歩いてゆく。一本目の大須観音にゆく道は、金沢町の通りで、俗名は付いていない。今は仁王門通で商売をしている煎餅の朝日軒は、か...
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2010年3月12日
沢井鈴一の「俗名でたどる名古屋の町」第1講 西大須 第6回「堂裏」
現在の大須観音は南向きに建てられている。大須観音の入口にあたる仁王門も南向きだ。しかし、仁王門通りは東西の通りである。戦火により焼失するまで、仁王門は東側にあり、大須観音も東向きに建てられていた。 大須は、伏見通りにより東西...