沢井鈴一の「名古屋広小路ものがたり」第4講 大正時代の広小路 第3回「御大典記念」

御大典記念

昭和8年ごろの御幸本通り

昭和8年ごろの御幸本通り

雨が降れば、海のような状態になる。雨が止んだ後は、何日もぬかるみが続く。人力車が道の中央を走りぬけてゆく。牛車や馬車がゆっくりと道の脇を通ってゆく。自動車が走れば、ぬかるみのしぶきがはね、通行人の着物にかかる。

下駄で、ぬかるみの中を人々は歩いてゆく。大正時代まで、名古屋の幹線道路である本町通りも、このような状態であった。

道路のすさまじさは、雨天の時だけではない。何日も晴天が続くと砂ぼこりがもうもうと舞い上った。道路の補修工事は、砂利を持ってきて、路面をおおうだけであった。慶長年間に本町通りができた時と変りのないありさまであった。

本町通りが舗装道路になったのは、昭和三年(一九二八)のことだ。区間は、玉屋町四丁目から本町一丁目までの約千メートルである。幅員も十四・五メートルに広げられた。昭和天皇の御即位を記念して、舗装道路化された本町通りは、この時より御幸本通りと改称された。また町名も、本町改め御幸本町と呼ばれるようになった。御幸とは、天皇や皇后、皇太后、皇太子が外出なさることだ。御幸本通りは、天皇がお通りになる道という意である。

大正、昭和天皇は何度も名古屋に行幸なさっていらっしゃる。 大正天皇の場合は、元年に一度、二年以後六年までに二度、その後は八年に一度の行幸である。宿舎は、名古屋離宮(名古屋城)である。名古屋城にお着きになり、広小路通りから、本町通りという通路で、名古屋城にお入りになる。

名古屋離宮(大正2年)

名古屋離宮(大正2年)

大正天皇が最も長く名古屋に滞在なさったのは、大正二年十一月十二日から十八日までの名古屋における特別大演習のご統裁に行幸なさった時だ。 この時の記録が『愛知県警察史第二巻』(愛知県警察史編集委員会・愛知県警察本部刊行)に載っている。

名古屋離宮と名古屋駅間の警備は、警部補以上十一人、巡査部長二十二人、巡査二百九十四人の三百二十七人によって行なわれた。一丁(約一〇九メートル強)につき十三人強、四間六分(約八・六メートル)に一人の配置であった。

十一月十二日、九万四千六百三人が、拝観をしに、広小路通り、本町通りに集まった。警察は、あらかじめ二階にほしてある洗濯物を片づけるように注意した。また帽子をかぶって拝観しようとするものには制止をした。注意、制止件数は、五千三百十五件におよんだ。

天皇の車が通過した後は、本町通りの中央で交通の整理にあたった。 十一月十七日、第三師団の練兵場に五万の兵士を集めて、特別大演習の観兵式が行なわれた。警備は厳重をきわめた。当日は、練兵場の周囲の道路、十四か所を通行止めとした。 練兵場の北には、黒川が流れている。十五日から、庄内川の水が黒川に入らないように遮断された。練兵場近くの金城村(北区金城町)の加藤製粉所に命じて、水車を使い排水を行なわせた。

一般拝観者が川に落ちないために、黒川の水を止め、排水を行なったと説明されているが、それにしては、あまりにもぎょうぎょうしい。陸上から練兵場に入ることは、警備が厳重で、事を企てる者が入ることができない。しかし、水上からは容易である。そのことを恐れて水路を遮断したのであろう。 海水が遡上し、黒川のように上流で流れが遮断できない堀川では、小船に巡査、消防手が乗りこみ、何度も往復して、ことなきように取りはかった。

大幸橋では、天皇に直訴をしようとして、取り押さえられた男がいた。上訴狂として処理された。 演習中の七日間の愛知県警察署の行政検束の人数は五八〇人である。すりをなさんとするもの六五、精神病者二七三、泥酔者一一、浮浪者二七人など現場で検挙したのではなく演習中に事故が起きてはならないと検束したのである。

本町通りに設置された御大典記念奉祝門(昭和3年)

本町通りに設置された御大典記念奉祝門(昭和3年)

昭和二年(一九二七)十一月、昭和天皇は陸軍特別大演習を統監なさるため名古屋に行幸をなさった。 『日本憲兵昭和史』(極東研究所出版会)の第三編「日本憲兵ノ歴史」の昭和二年十一月十九日の項に次のような記事がある。

名古屋市東練兵場ニ於ケル陸軍特別大演習観兵式閲兵ノ際列兵中ノ歩兵第六十八連帯第五中隊歩兵二等兵北原泰作ハ陛下ガ午前八時三十分頃同連隊第一大隊ノ右翼ニ進マセラルル頃直訴ヲ企テントシタルヲ同中隊第一小隊長歩兵少尉奥田広吉ニ逮捕セラレ名古屋憲兵分隊ニテ取調ノ上請願令違反トシテ第三師団軍法会議ニ送致ス

大正二年の大演習の折りと同じように、昭和二年にも、直訴を企てようとした歩兵二等兵がいた。何を訴えようとしたかは、謎のままである。

この時、御幸本通りを、天皇がお通りになられたのを本町在住の今阪善次郎さんは、記憶していらっしゃる。 「竹矢来がしてある中で、ござを敷いて何時間も前から待っていました。それは大変な人出でしたよ」

本町通りは、天皇が通られた道である。そしてまた、天皇の兵士たちが、外地に従軍する際には、熱田神宮で隊伍を組んで行進する道であった。

名古屋駅前に設置された御大典記念奉祝門(昭和3年)

名古屋駅前に設置された御大典記念奉祝門(昭和3年)