沢井鈴一の「名古屋の町探索紀行」
-
2011年9月2日
沢井鈴一の「名古屋の町探索紀行」第3講 七墓巡礼歌のみち 第14回「金銀みつる長者町―はずれ灯籠」
長者町といえば、繊維問屋街の代名詞として使われるほど、長者町通の両側には織物問屋の店が軒を並び、いつも活気に満ちている。 一宮、尾西、江南、津島と名古屋の近郊には、織物産業で名をはせた街が数多くあり、生産量もけた外れに多い。近郊...
-
2011年8月26日
沢井鈴一の「名古屋の町探索紀行」第3講 七墓巡礼歌のみち 第13回「をいたる奴もつまらねど長島町―明倫堂跡」
長島町は、片端通から三ツ蔵通までの南北道路長島町筋の北端にある町で京町筋と杉の町筋の二丁をさす。南は島田町、西は桑名町、東は上長者町に接する。 『那古野府城志』には、 役銀一貫六百七十八匁。慶長中(一五九六~一六一四)爰に遷り...
-
2011年8月19日
沢井鈴一の「名古屋の町探索紀行」第3講 七墓巡礼歌のみち 第12回「出船入船桑名町―青木宅」
『那古野府城誌』には、 桑名町のことを 役銀二貫二四匁、桑名町通り京町より杉ノ町までをいふ。慶長年中清須北市場より此に遷す。仍て名とす。井深三丈余、水清、土赤土砂ねば交り。 御祭礼 湯取神子 寛永元年に囃子物初る。万治元年換...
-
2011年8月12日
沢井鈴一の「名古屋の町探索紀行」第3講 七墓巡礼歌のみち 第11回「仕度もしたき茶屋町―茶屋新四郎宅址」
『金鱗九十九之塵(こんりんつくものちり)』には、茶屋町の町名由来を次のように記している。 慶長年中、御城下町割の最初より、茶屋長意、当所に屋敷を構へ居住しける。故に号茶屋町。 茶屋町は、町内に呉服商人中島新四郎(茶屋長意)が住...
-
2011年8月5日
沢井鈴一の「名古屋の町探索紀行」第3講 七墓巡礼歌のみち 第10回「常もにぎあふ広小路―柳薬師跡」
『金鱗九十九之塵(こんりんつくものちり)』は、広小路を次のように記している。 此町東西長くして、西は長者町より東は久屋町筋に至り、地形広々たる故に、広小路と号く。南北の町は八筋に通じ、むかしは尋常の町にして、西の方は堀切筋と...
-
2011年7月29日
沢井鈴一の「名古屋の町探索紀行」第3講 七墓巡礼歌のみち 第9回「酒の肴にかばやき町―ビルの谷間の長屋」
蒲焼町は本重町筋の南、御園町筋より大津町筋に至る九丁の東西道路の俗称で、正式の町号ではない。 蒲焼町の町名由来については、各種の説がある。 『金鱗九十九之塵(こんりんつくものちり)』は、次の説をあげている。 此蒲焼町の町名は...
-
2011年7月22日
沢井鈴一の「名古屋の町探索紀行」第3講 七墓巡礼歌のみち 第8回「損はたたねと本重町―鶴重町と本重町」
『那古野府城志』は、本重町の町名の由来を、次のように記している。 此町清須に於て新町と号、治工三左衛門といへる者爰に住、斯人伊勢大神宮へ謁する事凡廿三度に及ぶ、一夜夢想に仍て、銘を鶴重と改む、故に鶴重町と云。慶長年中此に移、...
-
2011年7月15日
沢井鈴一の「名古屋の町探索紀行」第3講 七墓巡礼歌のみち 第7回「玉を入れおく袋町―福生院」
袋町の町名由来を『金鱗九十九之塵(こんりんつくものちり)』は、次のように記している。 当袋町の儀は、清須越にて清須本町小塚田所の内、袋の内と申所より引越来りし所、此節此地の伝馬町通りにも可相成土地に御目立是有し処、西の方に広井八...
-
2011年7月8日
沢井鈴一の「名古屋の町探索紀行」第3講 七墓巡礼歌のみち 第6回「人馬つめおく伝馬町―札の辻」
堀川より東へ七間町までと、七間町より東へ北片側伊勢町までの間が伝馬町の区域である。 町名の由来について『金鱗九十九之塵(こんりんつくものちり)』は次のように記している。 当町を伝馬町と号することは、清須越の町名にて、且清須の...
-
2011年7月1日
沢井鈴一の「名古屋の町探索紀行」第3講 七墓巡礼歌のみち 第5回「ちらりちらりと桜町―桜天神社」
杉の町筋の南にあたる東西道路が桜の町筋、昭和十一年(一九三六)十二月、名古屋駅の新築移転に伴って、東桜町から駅に通じる桜通が新設された。 狭い桜の町筋は一変し近代的道路にと変貌した。桜通りの両側には高層ビルが立ち並んだ。公孫樹並...