沢井鈴一の「名古屋の町探索紀行」
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2011年6月24日
沢井鈴一の「名古屋の町探索紀行」第3講 七墓巡礼歌のみち 第4回「桧さわらや杉之町―高岳院」
杉の町は俗称で、公式の町号ではなく筋の名前である。 江戸時代、杉の町筋は、中橋から東へ緩やかな坂を上り、御園町筋までは、武家の蔵屋敷が続いていた。『尾張名陽図会』によれば、御園町筋より本町筋までは、万屋町の町域を作っていた。(『...
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2011年6月17日
沢井鈴一の「名古屋の町探索紀行」第3講 七墓巡礼歌のみち 第3回「どなまぐさいが魚の棚―河文」
魚の棚と呼ぶのは、町の名前ではなく、筋(道)の名前である。江戸時代、魚の棚筋には、三つの町があった。西端の車ノ町は、桑名町筋と木挽町筋との間の四丁、まん中に位置する、小田原町は桑名町筋と本町筋に挟まれた三丁、東端の永安寺町は本町筋...
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2011年6月10日
沢井鈴一の「名古屋の町探索紀行」第3講 七墓巡礼歌のみち 第2回「にほいも高き京町―少彦名神社」
『金鱗九十九之塵(こんりんつくものちり)』は、京町の町名由来を次のように述べている。 当町、名を京町と申候事は、在清須の節より斯申候。清須本町の近所、京町と申所田畑に成候へば、今字に京町と取扱申候。扨京町と名付候旧緒の儀、慶長十...
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2011年6月3日
沢井鈴一の「名古屋の町探索紀行」第3講 七墓巡礼歌のみち 第1回「八十七番 花の名古屋の町割」
江南、村久野の地に部落の人々が集う、小さな喫茶店がある。村久野を調べる用事があり、何げなくその喫茶店に入った。カウンターに座り土地の人々とコーヒーを飲んでいた。話がたまたま、私財を投げうち、家業を傾けて村久野を研究された、今は亡き...
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2011年5月27日
沢井鈴一の「名古屋の町探索紀行」第2講 前津七不思議めぐり 番外「雲龍水引─下前津」
文政七年十二月二十五日の午後三時頃、飴屋町下筋から出火した。またたく間に、経堂筋を焼き払い、中筋から不二見まですべて灰塵に帰してしまった。焼失地域は南北は約五丁(五五〇メートル)、東西は五、六丁に及んだ。 火事の凄まじさを表...
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2011年5月20日
沢井鈴一の「名古屋の町探索紀行」第2講 前津七不思議めぐり 番外「一目連─鶴舞公園竜ケ池」
中部電力と神頼みという興味深い一文が『怪異の民俗学2 妖怪』のなかに載っている。 ここでおもしろいのは名古屋に本社がある中部電力である。その近代的な本社ビルの中核にあり、コンピューターで武装された中央給電指令所の一室に、神棚...
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2011年5月13日
沢井鈴一の「名古屋の町探索紀行」第2講 前津七不思議めぐり 第7回「願かけ七本松─七本松神社」
七本松神社の碑の横には二代目七本松という文字が刻まれている 七本松神社という小さな神社が鶴舞公園の近くにある。鳥居の傍らに二代目七本松という石碑が建てられている。松の木がどこにあるかと狭い神社の中を見わたしても、それらしい木...
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2011年5月6日
沢井鈴一の「名古屋の町探索紀行」第2講 前津七不思議めぐり 第6回「卯木─宇津木橋」
ものは百年使用していると魂がこもり、霊がつくという。樹木も、長寿の木には霊がこもっている。 樹霊にまつわる伝記は数多く残っている。秀吉が朝鮮征伐のために白山神社の神木を切らせたら、木から血がしたたり落ちてきて、切るのを中止したのは...
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2011年4月29日
沢井鈴一の「名古屋の町探索紀行」第2講 前津七不思議めぐり 第5回「精進川の霊─乗円寺」
牛巻町の新堀川の左岸に、平成四年の三月に名古屋市によって建立された新堀川の碑が百日紅の木の下に立っている。その碑文には、 新堀川は昔、精進川といわれていた。精進とは仏教用語であり、熱田では僧都川ともいわれていた。三途の川にな...
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2011年4月22日
沢井鈴一の「名古屋の町探索紀行」第2講 前津七不思議めぐり 第4回「飛薬師─清水寺」
林通勝は、織田家譜代の家臣だ。信長の父信秀が亡くなった後、その居城の末盛城は信長の弟の信行が守っていた。柴田勝家と林通勝が信行の補佐役であった。 信長は粗暴で奇異な行動が多く、勝家や通勝等の重臣は、信長を廃嫡して弟の信行を織...